とりわけ問題

息子、現在 0 歳 11 ヶ月。初めて口にした意味のあるらしき言葉は「マンマ」、保育園でも献立表に栄養士さんから「食べるの大好きですね」とコメントを書かれてしまうくらいの食欲を発揮しております。
食パンとか果物とか茹で野菜とかを適度な大きさに切ったものを取り皿にのせて差し出すと、わしっと掴んで口に放り込み、眉間にしわを寄せながら頬張ったり。現在ちょっと大きなものを噛みちぎって食べる練習中で、放っておくとどんなに大きくても一度に口に入れて頬袋膨らませしまったりする。数ヶ月前までは液体しか摂取してなかったのにな…となかなか感慨深いものがあります。
とはいえ、ここまで来るのには段階があって、最初の最初は野菜も米もぐずぐずに煮てすりこぎですりつぶして白湯でのばしたものを小さじ一杯だけ食べさせてみる、みたいなとこから始まった離乳食道、きのうはにんじん、今日はじゃがいも、明日はキャベツ、と少しずつ試して食べられる食材を増やし、2 ヶ月目からはたんぱく源にチャレンジ、最初の月は白身魚と豆腐、翌月は鶏肉、翌月は豚肉、続いて赤身の魚と卵、と 1 ヶ月単位で試してここまでやってきたのでした。
回数だってね、最初は一日 1 回ですよ? それが次の月には一日 2 回になって、途中保育園入園による「平日は 2 回とも園で出してもらえるう!」という手抜きパラダイスを経て地獄の 3 回食に突入。こうなると大人の食事時間と一緒なので、朝晩はわたしが食べながら息子にも食べさせることになり、食事を準備するキッチンはさながら戦場といった様相、しかも匍匐前進で戦場に乱入するチャンスを絶えず伺っている小さい人がいるのでもうもうもう…っていう感じ。ほんとに。
実際 3 回食ともなるとかなり幅広い食材や、調味料も多少使えるようになってます。少しなら油を使った調理も OK ってことになってるし、ごはんの硬さもだいぶ大人に近いものも食べられる。3 食準備しなきゃいけない → 時間との戦いって側面もあって、「大人の食事の準備と子の食事の準備、どこまでひと手間でできるか?」って問題が、どのおうちでもすごい重要になってくるようです。なので、巷にあふれる離乳食本とか育児雑誌とか見ると、「とりわけ調理」って言葉がすごい出てくる。大人用に途中まで調理した食材を子用に「とりわけ」して効率化!みたいなことなんだけど。
ただなんか、効率化はいいんだけど、うちはうまいこと「とりわけ」できた試しがないんだな…だって「大人用の肉野菜炒めから具を取り出して洗って油を落とし、小さく切ってから少量のしょうゆで味付けして子用に盛り付ける」とかさ、むしろ手間じゃね? 油で炒めた後に水で洗った野菜ってまずそうじゃね? 食材切るところから別工程にしてだしで炒め煮にしたほうが、おいしそうだし早くね? って思っちゃうというか。まあ、これだけ離乳食本界隈で「とりわけ」推しが一般的なのだから、きっとメリットはあって、それをわたしが体得できてないってことなんだと思うんですけども、ね…。(自信弱)
あと、なんとなくだけど、自分の子が「大人と同じ(っぽい)もの」を食べている、っていうよろこびが「とりわけ」の推進力なのかなー、とか思ったりしてます。離乳食本にはすごい大人っぽいレシピがいっぱい載ってて、子が食べるところを想像したら盛り上がるのは事実なんだけど、たとえば休みの日にパンプディングや野菜入りオムレツをがんばって作ってみても、子の食べがそんなによくなかったりもして、ええええ?ってなったり。親の欲の方向性と子の食欲とが必ずしも一致するとは限らない様子で、離乳食ほんとむずい…と眉毛がハの字になる心地です。
でも、こないだの週末、大人用に作る麻婆豆腐の材料で作った子用の麻婆豆腐(っぽいもの)をよく食べてるのを見たら、やっぱり嬉しいというか、テンションあがったことでしたよ。豚ひき肉と豆腐だけだとさみしいので、冷凍しといたインゲンも入れたらかわいいお膳になって、すごい気持ちが浮き立ちました。日頃、「園で凝ったものいただいてるから家では単純なごはんでよし!」と手のかからないおかずを反復してても、やはり子が大人みたいな食事をしていれば、ニヤニヤがとまらないのが親心。難儀だぜ。だが、これはこれで結構楽しいもんなんです。まじで。