「軽くて濃い」読み物群 - hon・nin 松尾スズキさん監修で季刊誌

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060904bk11.htm
読売新聞に記事が出てたと某所で見たのがきのうの夕方。帰りに探したけど当然朝刊が残っているスタンドはなく、でもどうせネットに出んでしょ? と思ったらホントに出た。世の中が便利すぎて怖い。
記事は松尾さんのコメントと「hon-nin」のコンテンツの紹介で成り立っているんだけど、やっぱりわたしは宮藤さんの小説が気になる。

〈恥ずかしいことを書こうと思う〉の一文から始まる宮藤さんの小説「きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)」は、自身の中学から高校時代を「嘘8実2ぐらい」で記した。エレキギターを購入した感動や、男くさい高校に入学した戸惑いなどを描く。自意識過剰な喫茶店のマスターを描いた2003年のテレビドラマ『マンハッタンラブストーリー』をはじめ、他人とのコミュニケーションの問題を描く彼の作品世界を象徴するように感じられる。

まあ、最後のほうの「象徴」とかはどうでもいいとして、「嘘8実2ぐらい」というのが非常に興味深い。
ついこの間、宮藤さんの高校時代の話(女の子との付き合いの話)で今までわたしが聞いたことがあったのと違うことをぽろっと口走っているのをラジオかなんかで耳にしたことがあって、何つうんだろうか、この人たち(松尾さんとかも)は昔の話をもはや持ちネタのレベルで練りこまれている部分があるんだけど、その「練りこみ」の最中で抜けた(抜いた)ディティルっていうのもきっとあるんだと思うんだよね。
その「抜いたこと」って、彼らの中で「なかったこと」になっているのか、それともその話をする度に「本当はちょっと違うけど」っていう気持ちが兆しつつ喋っているのか。「hon-nin」の趣旨を知ってから、ぼんやりとそのへんに興味を持っていたところに、一度は「抜いたこと」を宮藤さんが口走っているのを聞いた。だから、これまでのインタビュー等で繰り返されていたネタの構成と、小説として書いたときの構成とを比べると、これまでは抜かれていた要素が使われてたりするのかもしらんなあ、そのことで口頭でもぽろっと言ったのかもしらんなあ、なんて思っていたんだった。大体、「嘘8実2くらい」のバランスってすっごい絶妙だもん。楽しみ。
この雑誌の創刊に当たって、書籍化に繋がる定期刊行物として立ち上げるというお題目をどこかで読んだ記憶がある。その雑誌で己話縛りを課すっていうのはかなり誘導的なことだ。松尾さんがこの雑誌でナニをしようとしてるのか、今の時点では全然見えない。読めば分かるのかも分からないけど、分からない点がある新しいものを読めるというのは、実にありがたいことだなあと思う。

つーか、自意識過剰が職業みたいな松尾さんが、続けてゆく仕事として「私小説」を選んで他人を巻き込んでいるっていう、そのこと自体が見世物になりうるでしょう。発売まであと2日、かな? 本当に楽しみです。