18万4千円

きのうの例の件について触れたエントリにいただいたコメントにレスをしていて気付いたこと。
わたしはこの夏、グループ魂を観るために、多分この落札額と同じくらいの金額を使っている。
以下検証。

  • ドーパン魂:いろいろあって*11万円
  • RIJF:チケット代がいろいろあって*25万円くらい、公式ツアーが1万6千円強
  • サマソニ:チケット代が1万4千円
  • RSR:チケット代が1万4千円、公式ツアーが5万円
  • 大人フェス:体育館ライブつき入場券2回分で1万2千円弱

うーん惜しい、約16万6千円だ。勿論その他経費もかかってるけどね、食費とか。フェス行かなきゃ発生しなかった出費も含めたらもっといってる訳だが、それやりだすとキリがないので無視しておくぜ。
わたしはこれだけのお金を払って、革ジャン+スーツ、浴衣、学ラン、といろんな衣装でお送りされた魂のライブを6回(+向井徳次郎1回)観て、副産物として向井秀徳に目覚めて秋を迎えた。その他の副産物もいっぱいあったし、対価としては高くなかったと思ってるけど、「写真に18万4千円」とどこが違うの? と誰かに真顔で言われたら、まあ、返す言葉はないわな。どっちも理解できないっていう人も多いだろう。いっそ、「手元に残る分、写真のほうが生産的」くらい思う人もいるかもしらん。それはそれで、分からない理屈でもない。
ことごとさように、ファン心理と突っ込む金額は人それぞれ、価値観の違いみたいなナイーヴな話なんだと思う。だから、「写真に18万4千円」について、わたしはいいとか悪いとか言いたい訳じゃない、ということを、ここでもう一度はっきり書いておきたい。
程度問題ってだけな気もするしね、落札者がもしわたしの年収の10倍稼いでいる人だったら、この落札額はわたしにとっての1万8千円と同価値ってことになるんだろうし。そのくらいの金額だったらわたしもわあわあ騒いだりはしない…っていう時点で、「1万8千円が『そのくらいの金額』かよ?!」って思う人だっているだろう。きっと。そういうもんだ。
モノより思い出、思い出よりモノ。どっちもどっちで、優劣はない。分かってる。わたしはモノに極力依存しないように、物理的なものの記憶を、自分の中にできるだけできるだけ取り込む癖がある。そのインポート作業の結果を、このブログにメモってるみたいな文字として残すことこそあれ、大概はわたしの妄想と一緒くたにして、脳内メモリ領域に格納しておく。それで時々、取り出して眺めてニヤニヤする。写真と大差ないよ、ほんとうに。
ただ、写真という紙が、この高額な値付けにふさわしいものだと思えるのって、紙を「紙」としては見てないってことのように思える、それが気になるだけだ。紙を「うつしみ」として、本人が手に入らない代わりに、手元に置いておきたいということなのかなあ、と勘繰ってしまうというか、ね。その気持ちが高じたら、どこに矛先が向くのか。対象が生身の人間である訳だし、ちょっと怖いなあって思った。それだけの話である。

*1:手違い系、いい整理番号ほしい系。詳しくは訊かないでほしい。

*2:うっかり系。深くは追求しないでほしい。