INOUEKABUKI SHOCHIKU-MIX 「朧の森に棲む鬼」/新橋演舞場

きのう、つまり 1/26(金)夜に観た。突発的に楽前に行って来たのだった。いや、松竹のサイトに前夜に出戻りが出てたからつい。中央よりやや後方列ながら、20番というまさにドセンターだったんだけど、着席してすぐに気付いた、この芝居、大事なシーンはちゃんとド真ん中で行われるようになっているので、殊に手前に出てきてるときの芝居は、客席に勾配のない一階ドセンター席は危険…! 前の人の頭を避けて右へ左へ、ということなのです。そして前がそうすれば、後ろの人も逆向きに左へ右へ、ということで、19番、20番くらいの席の人は縦に全員、ずうっときょときょとし続ける羽目に陥るのだ。うーむ…いや、基本的によく観えたんですけどもね。見納めには充分な席だったんだけどさ。
この芝居の感想、12/30 のプレビューと、本公演に入ってからの 1/11 の感想はそれぞれこちら。
12/30 id:oolochi:20061230:p2
1/11 id:oolochi:20070111:p1
それを受けて、先週末に三階席で2回と、きのうの楽前、という感じだったんだけど、先週末はちょっと忙しくて感想書いてなかったので、まとめて以下にメモっておく。結構ねっとり書いているので、舞台観てない人にはさっぱりだと思います。いつものことながらすまん。っていうかネタバレたっぷりなので、大阪で見る予定の方は自己判断でひとつ。何卒。

きのうのこと

仕事で開演に間に合わないことは分かっていた。しかし、頑張ったら開演後、そうだな…えっと、多分10分くらいじゃなかろうか。朧たちの歌が始まるところに間に合って、着席して正面を向いたらどーん! とタイトルが。あのスクリーンに文字の形に穴が開いていて、それをかっとバックライトが照らしているアレです。わたしの中での基準として、キンタの「ここは朧の森だじょ」、このタイトルバック、キンタの「字が書いてあるう!」、その後の「エイアンの都だあ」「アニキ、格好いい!」の跳び六方踏んでハケてゆくところ、について、できるだけ間に合いたいなーと思っていたので、2つ目に間に合って満足だった。

声のこと

公演日程後半から、役者の芝居がぐんぐん大きくなっていて、比例して声が次々潰れていっていて、中でも目立ったのは染五郎と高田さんで、でも、嗄れたところで安定して、以降それ以上ひどくはならず、そこそこ嗄れているなりの声の出し方で芝居をちゃんと構築しているっていうところに、役者って人種の不思議さをつくづく感じさせられたりしていた。先週末に、田山さんの声も結構嗄れていたのにはちょっと笑った。確かにあの麻呂喋りは喉に結構負担がかかりそう。でも嗄れるにしても今更! みたいな。日程が後半に差し掛かったくらいから、田山さんの芝居に感情がすっごく出てきていて切なさが増しているように感じていたので、喉への負担も比例してるのかなあとか思った。「鉄の喉」阿部さんはともかく*1、秋山さんが全然嗄れてないのが本当にすごいよなあ、ときのう思った。

ライがエロすぎる件

ライがキンタに「お前だけは騙さない」というシーン、キンタのほっぺに手をやって自分のほうを向けさせるしぐさを久々に一階で観たらどきーんてなった。チュ、チュウするみたいだよ…!(バカ! いやあの、何かもう実際、あまりにもライがエロすぎるので、男相手のシーンでもどーしたってエロく観えるのでまいるのよ。キンタとのシーンしかり、マダレとのシーンしかり…あ、そういえば数日前に、「ライ×キンタ」で検索かけてきた人の形跡がリンク元に残ってましたけど! 書いてないよわたしそんなこと、そこまで張り切ってないよ!(悲鳴

キンタカワユス

シュテンの話で頭に血が上ったキンタ、仮想の隣の奥さん相手に腰を振りまくって大ハッスル、その後、膝を抱えて泣き崩れる姿に萌える女子多数のずるいシーン、きのうは染さま、キンタの暴走をずうっと半笑いで眺めておられた。なんか、アホなキンタを見てるのが楽しくてしょうがない感じにきゅーんてなる。しかもなんか、1回目に観たのがプレビューの三階席だったせいで、次に一階席で観たときに、前半であまりにもライがキンタの頭をぽんぽんやってばっかりなことに結構衝撃を受けたのよねい…だからキンタはあのぽわぽわ頭なのか! みたいな。っていうか、マダレもぽわぽわ頭なので、ライのストレートヘアが際立つっていうのはあるかも。女性は皆直毛なのに、何故男どもがぽわぽわしてんだろうか。キンタもマダレもかわゆいじゃないのよねえ。

ラブレター・フロム・彼岸

あと、ヤスマサからの手紙のラブレター部分をライが読み上げるシーンの「飛ばして!」のところ、怒ったツナに殴られた後のキンタが「(アニキが)飛ばさないから! 飛ばさないからこういうことに!」ってライを責めるのが日に日にくどくなっていて、「飛ばさないからこういう結果が待ち受けている!」とか意味のない言い換えを何度も重ねる阿部節炸裂の日もあったんだけど、先週末に観たときは、キンタが深追いしてもっと言おう言おうとするところにツナがぴしゃりと次の台詞を被せてて笑った。
きのうはきのうで、何か阿部さんが合いの手で暴走してたせいで、段取りが滅茶苦茶になってぐずぐずしてたのがひどかったなあ。殴られた後に「飛ばさないから!」と言うキンタに、ライが、っていうか、染五郎が素っぽく「飛ばしたよお?」とニヤニヤ言ってたのに結構笑った。多分、あまりにもキンタが大騒ぎしてるので、読み上げられなかったところがあったんじゃないかな。秋山さんも半笑いで「キンタ」ってたしなめるように言ったのに対して、阿部さんが 「キンタ…ああ、俺か」と一瞬、完全に素だったのにまた笑う。「キンタ、お前が悪い」と最終的に秋山さんがツナ様口調で言って一区切り。や、あのね、笑えるところでは大概がやりすぎなんだよ阿部さんは…深追いしすぎ!

仲良きことは

そう、上記2点のような感じで、何かこう…座組の仲良し感が高まってきている感じを覚えた。ただ、それというのは裏返せば内輪っぽい空気になっているということでもあって、ある角度から見ればいわゆる「ぐだぐだ」とも取れる瞬間もなくもなく。わたしは6回も観てるので、気分としては勝手にその内輪の「内」にいるから、そういうところを嬉しく楽しんでしまったけど、この芝居にとっては、そういうのは必ずしもプラスじゃないような気もしたなあ。大阪で初めて観る人も多いだろうから、一旦リセットしたらいいのにね…まあ、役者たちがあんな楽しそうな、いたずらっぽいノリになってしまったら、自制とかできるようなものでもないのかもしれないし、役者に対する愛着で見ちゃうと、すきな役者同士がそうやってじゃれてるのを見るのは楽しいし。素っぽいところをどれくらい喜ぶべきかは、こんだけカンパニーのムードがよいと、よいもわるいも一緒くたになっちゃってて難しいな。物語の力と素ポロリのお得感て、ベクトル真逆だけど、結構表裏一体なのでね。

罰ゲーム

先週末、カテコで染五郎が「帝国劇場から駆けつけてくれました」とマイクで案内して、磯野さんが歌って踊ってた。少年隊の「仮面舞踏会」のおまんじゅうっぽい曲。あときのう、ラジョウのシーンで検非違使が最初に出てくるところ、先頭で名乗りを上げている河野さんが何か…余計な一言を挟んでいたような気が。あれ? と思ってる間に通常の台詞に入っていってしまったのだけど。あれきっと罰ゲームよね?

ところで

気になっていたのは、「オオキミ」が「王」である、というところ。言葉の意味からすれば、大君って本来は天皇だもんね。天皇と王は違う、王は人間だけど天皇は神子だから。劇中にも「今は都じゃ神はいなくて、オオキミが一番偉いってことになってる」っていう表現が出てきてるから、神=天皇もいたはずで、その威信を国王側が上回るっていう…あれ、これは中世ヨーロッパのローマ教皇とフランス国王みたいな…あ、そか、シェイクスピアか! じゃあこれは「リチャード3世」に元々装填されてる前提なのかしら…ん?(わあ、無知無知ちゃん! ごめん!
…んー、だとしたって、天皇を凌駕したはずの国王に「オオキミ」という愛称?をつけるのは逆転してるってことになるなあ。しかもオオキミ、モデルとしては一条天皇だから「いっちゃん」なんでしょ? 勿論、このずらしたネーミングもわざとなんだろうけど、そのわざとさがちょっと分かりづらいなあと思った。まあ、分からなくても舞台を観るのに何ら支障はなかったけどもねえ。

そんなオオキミ、あとシキブ

わたしは今回、泣き虫のくせにこんだけ回数観ても泣けたことがなくって、穏やかに楽しんでいられた。多分、わたしの泣けるツボとはちょっと違うところで作ってある舞台だったからなんだと思うけど、時々周囲で泣いてる人を見かけて、それは大抵、オオキミの最期のところで、だった。オオキミは何で、国の施政者になっちゃったんだろうなあ。シキブが可愛くてしょうがないのはともかく、それで殺されてあげちゃうなんてねえ。国民がかわいそうすぎ…シキブも一人にそこまで愛されたって言うことで満足できればよかったのに。
田山さん、登場してしばらくは「何故この役が客演…?」っていう物足りなさなのに、最期は圧巻という見事なメリハリで。そもそも、殺される寸前、シキブがライが勝って帰って来た! って浮かれて歌って踊っているのをじっと眺めているオオキミは実に切ないのだった。あそこで、最近詠んでくれないから、って歌をねだって、何か変にシリアスなのしか詠めなくなってるシキブにがっかりするオオキミも、そんなオオキミに「ごめんね、ごめんね」って繰り返すシキブも、すごく悲しくてよかった。あのシーンで泣く人の気持ちもよく分かる。あんな健気なオオキミをぶっ殺して、ライにすがりつくシキブの怖さとみっともなさと悲しさったらない。
聖子さん、よかったなあ。メタルマクベスとかの「勿体な!」っていうのと比べて、今回の聖子さん、ホント素晴らしかった。女でいたいの! と昂奮して駆け回るシーン、恋愛筋肉ぱっつんぱっつんとか、ほら、これ、楊枝置きだよ? とか、とにかく強烈で、日程後半からは自然に拍手が起こるようになってたもん。素晴らしい。歌や踊り、間のよさ、切なさも含めて、今回聖子さんのよさがたっぷり楽しめて嬉しかった。ライにオトされるシーンとかねえ、催眠にかかったみたいにライの手を見つめる表情とか。あれ、映像で観たら表情の芝居にくらくら来そうよ? また、組み敷かれて、高く上げられた生足の白さったら…ああエロい、実にエロい。うっとり。

オクマがいい

「レッツゴー忍法帖」を映像で観たときは、どーもウマシカがダメだった。あの舞台そのもののノリに対して、ちょっと気持ち的に距離を置いて観てたからかもしれない。でも今回、同じ中谷さとみさんがやってたのに、全然オクマは好きだった。っていうか、むしろ愛しかったんだよねえ、妙に。何でだろ? ご飯を食べさせて、というのが結婚の申し込みだ、っていう村で育ったオクマが、自分に食べ物をくれと言ったキンタを愛して、全力で支えている感じ。お前の村じゃカカアもマンマも一緒くたかよ、っていうキンタに、人間の欲求って意味じゃ一緒だな、って笑って、「カカアとマンマ喰って寝る、それが人生だ」ってケラケラ言うところ、あれはあれでひとつの真理だなあって思った。
そんでもって、そんなオクマに「俺には野心があるんだよ!」って言い放って逃げてゆくキンタの言う野心っていうのは、要するにライの野心についてゆくっていうことであって、キンタがホントにほしかったのはきっと、金でも地位でもなくて、ライとずっと一緒にいることだったんだろうなあと思う。それを崩すきっかけになったのは結局シュテンで、キンタがシュテンに惚れなければライもキンタを斬ってなかったのかもしれない訳でしょ? それでライに切り捨てられた(文字通り)キンタを救うのがオクマで…やっぱり、オクマの持ってるシンプルな理屈、それは本来アホのキンタにはぴったりなものだったはずで、要するに、シュテンはキンタには複雑な存在すぎた、ってことなんだと思うんだよね。その対比が出てたのも、オクマの単純で愛情深い感じがちゃんと出てたからだと思うから。そこが好きだったのかな、キンタが、ライみたいな複雑な人間のせいで巻き込まれた複雑の国でひどく傷つけられたのを、シンプルの国から救いに来た、みたいな感じが、観てて嬉しかったのかも。
時にキンタのとび蹴り*2ががっつり入ってしまったり、舞台のツラまでふっ跳んでしまって「落ちるか? 今日あたり落ちてみるか?」といじめられたり。オクマのあの声も結構負担がかかるだろうに、全然ぶれてなくてホントによかった。マダレの名前のいい間違えの日替わりネタ、結構毎回コンスタントに笑いを取ってたのもすごかったなあ、わたしはきのうの夜の「…ダレ?」っていうのが一番笑った。一周廻って元に戻った感じっていうか。最後の決戦に向かうところ、花道からエイアン軍の拠点に向かって、オーエ国の生き残りの兵士たち、マダレの手下たち、ツナ、マダレ、オクマ…と駆け出してゆくところ、あそこで空の気配に気を取られているキンタに、オクマが気遣わしい感じで名前を呼ぶんだけど、そこの声のトーンがいつも、すごく好きだった。ホントに、カカアの声なんだよね。またその後のキンタのハケるときの「アニキ…!」って声、刀を構える身体のキレ、ハケてくときの俊敏さがすごくよかったので、あのシーンはめちゃめちゃ印象深い。あそこでメインキャストと一緒に出てて、全然印象弱くなってなかったもの。オクマ、ホントよかったと思う。
でもなあ…やっぱり最後の決戦には出てこない訳だから。あの子があの後どうしていったかは、物語の画架の外にはみ出てしまっているのだな。そう思うと妙に切ない。まあ、それが物語の脇役というものですが。

殺陣のはなし

キンタの殺陣がホントに好きだったなあ。前半の、横一文字に刀を振る殺陣で、腕を大きく振っての遠心力で勢いを出している感じ。何かキンタだけは、腕の振りがバネっぽい。マダレの重い、ばつーん! っていう一撃必殺の振りとも、ライの剣の根元から相手にぶつけてく感じの巧みな斬り付けの振りとも違ってて、キンタの振りは相手の刀を弾き飛ばすみたいな、勢いとスピードのある殺陣で。足蹴りや頭突きの多さといい、スーパーボールみたいに終始飛び跳ねていて、観ててめちゃめちゃワクワクする。裾の長い衣装を身に付けているシーンの殺陣の格好よさが出色なのは、布の先までに身体のキレが伝わっているからだろうなあ。ただの段差なのに、駆け上がるときの華やかさ、無闇に跳んで、しかも滞空時間が長くて、観ててなんかもう、わあって溜息が出る。
一方で後半での「特殊な殺陣」は、身体の芯から刀を振リ廻す形で、すごく鋭くて速くて美しい。あの握り方だと相手との距離を短く取ることになるから、振り上げて下ろす斬り方よりも早く相手にリーチすることができる。座頭市とか以前に、腕が短くて俊敏なキンタには向いてる型なんではないのかしら。あの握りでライに向かっていくところ、刀を合わせる段階で懐まで入っていることになる訳で、子供の頃からずうっと一緒にいた男との久々の邂逅がああいう形であることの悲しさとかが強調されてて、うん、よかったなあ、すごく。
ライの殺陣は、最初のほうの剣に振り回されるへっぽこ殺陣から、徐々に剣を制してゆく感じがたまらない。後半はやたらと高い位置で手首を返して、剣をくるくると、バトントワリングのように振り回していたんだけど、そのぎらぎらと光を反射する剣の輝きが禍々しくて実に美しかった。最初のへっぽこ、鏡獅子の前シテのラストの獅子頭を思い出していたのだけど、公演日程最初のほうはあんなにケレン味はなかったのです。ダメな剣さばきに笑いが起こるようになったのは、本公演に入って1週間くらい経ってからじゃない? オモシロな要素までちゃんと盛り込んで来ていて本当に素敵だよ、染さま in 新感線てば。後半にかけて、剣に振り回されていたのが段々、剣と一体化してゆく感じが、怖くて格好よくてたまんなかった。

マダレLOVE

マダレは、衣装からしても動かない役なのが見え見えでおかしかった。森の熊さんみたいだよね、もっこもこでね…笑いっぽい要素をまだ挟み込んできてなかったプレビューの頃のマダレは、まだキャラクターとしてあんまりつかみ所がない感じではあったのだけど、日程中盤からのマダレはホントによかった。舞台の後半に入れば、染五郎のライが暴力的なまでによくなっていて、ツナを痛めつけて悦に入るシーン、あそこのおっかなさをぶっつり断ち切るマダレの「運命の蛇」んところ、あそこの古田さんの声には毎回震えが走っていた。いい声とか、そういうだけのことじゃなくって、何かこう…「物語」を動かす力がある声とでもいおうか。
何しろ、あそこまでは完璧に、ライの思惑通りにことは運んでいた訳で、最初の綻び、ペテンのつもりで気付かぬうちに真実を言い当ててしまっていたのだという事実を突きつけられる、あそこがライにとっての滅亡の始まりだったんだと思うんだけど、その最初のダメージを突きつけるのに相応しい、そこまでライに押し付けることが殆どなかったマダレの凄み、それがあの古田さんの一声でばっちりと物語られている感じ。あの一声を出せる役者、っていうのが、古田さんのすごさなんだと思う。古田ファンはこの舞台の古田さんは物足りないという方も多いようだけど、どーしてどーして、あんだけ動かないのに、動いたら説得力抜群の圧倒的な殺陣、って、あんなの古田さんじゃなきゃハマらないもの。いい役だったと思うなあ。
しかし、ホントにプレビュー観たときは、マダレにこんなに笑わされるとは思ってなかったよね…サダミツに罪を着せる裁きのシーン、ライが「サダミツさまもマダレとつるんでいたのでは」と言った瞬間の「あっ!」って顔とか、自殺してみせようとするところのわざとらしい芝居とか、地下牢に押し込めたシュテンの様子を観に来たときの「色々とな」って言いながら乳を揉むしぐさをするところ*3とか、助けられたお礼をツナが言うところの「兄さんなんていわれてもどんな顔をしたらいいか分からん」の顔とか、キンタが再登場して来たときにツナが「わたしたちは兄妹だったのだ」と説明してるときの顔とか…大半が顔芸ですけどもー。あまりにマダレがコンスタントに笑わせるので、蛇の刺青がツナの家の紋章であるとライが言い放った瞬間の、「これが?!」ってリアクション、あれ笑いどころじゃないと思うんだけど、客が「マダレが大きな芝居をする=面白いことをしている」って学習しちゃってるから、反射的に笑っちゃってる感じがあって、えー、となってた。これは毎回欠かさずだったので、あの口調がそんなに面白いのかなあ? と毎回首を捻ったりしてね…うーん、難しいですなあ。
しかし、久々に姿を現したキンタに「腕あげたんじゃねえか?」、兄妹で斬りかかったら反応がもたもたしてたライに「どうした、弱くなったんじゃねえか?」ってさ…マダレ、あんたはタモさんなのかい…? 三階席から観たとき、ラジョウでの最初の登場シーンを観察していたら、あの場面になったときから屏風の向こうに寝っ転がっていて、途中でエマちゃんがちょっかい出しに来て、しばらくは屏風の向こうでいちゃついている、っていう感じだったんだけど、本来客には見えてないはずの屏風の向こうで、ちゃんとエマちゃんの髪を撫でている古田さんの手が見えたときにギャーとなった…えーんエロいよーう。その後、ゆっくりエマちゃんが着物をはだけて、舞台手前の台詞の進行を見ながら、騎上位の形になってアンアン言う、っていう流れだったんですけどね…その後も、キンタがラジョウの悪党と戦ったりしてるとき、マダレはそれを観ながらエマちゃん演じる遊女と酒を酌み交わしつつしばらくイチャイチャしていて、何度かはホントにチュウしたりしていたので、あらあ、とニヤニヤしてしまった(中年。 一度はエマちゃんの口紅がついたらしくて、何度も口拭ってエマちゃんに笑われてましたよう…熊さんみたいな格好なのに。エロい熊さん…!

衣装のはなし

ライとキンタは、のし上がってゆく段階に応じて着ているものが変わっていって、でも、ライは主人公だからまだしも*4、キンタはライのホントのホントの悪企みには連れてってもらえないから、同じ段階でもライだけしか出てないときとかあって、結果的にキンタはほんの1シーンだけしか着てない衣装も。改めて見ると、ライはともかく、キンタもえらい贅沢なことになっているなあと思った。
キンタの衣装に限って言うと、二幕の最初、エンジ色と山吹色のコンビネーションの衣装、可愛いのにホントに一瞬だけなんだよな…あ、ツナんちの事情の調査結果をライに報告してるシーンね。ツナがヤスマサの首を抱きしめて泣いているのとクロスオーバーするシーン。あと、ライに裏切られるシーンの紫の衣装、目を潰されてごろごろ転げまわるときの白いマントみたいなのがめちゃめちゃ印象的で、でもあのシーンだけなので、やっぱりすごい贅沢してると思う。皆そうだと思うけど、検非違使のときの衣装がキンタっぽくて一番好きだなあ。真紅と黒なんて、アイドルの衣装でしか有り得ないぜ? 歌もアイドルっぽくていいし、何度でも書くけど、あの衣装での飛び跳ねながらの殺陣はたまらないのだ。またライがあの衣装以降髪を下ろしているっていう、その境目になる衣装なので、ホントに印象深いのよ。

ツナのはなし

ツナが好き。女優としての秋山さんが好き、っていうのもあるけど、この芝居におけるツナがとにかく好きだった。美しくて気高くて、正しいことをしようとする高潔な女。でも反面で、その志の高さが夫をして国を捨てさせたのかもしれなくて、だって、2人で国を捨ててもいいはずだったのに、「エイアンには裏切り者がいる」「その男はお前に大きな恥辱を与えるだろう」なんて手紙を残して、彼はツナを置いて逃げた訳だから。きっと、ツナはついてきてくれないだろうと思って、ヤスマサは一人で国を逃れたんだろうし、ツナがヤスマサを殺したライを憎むのは、その事実に目をふさごうとしている部分が感じられなくもない。
ツナからライへの憎しみを、「それは正義なんかじゃねえ、復讐ってんだよ」だか何だかライがせせら笑うところ、ライはホントに人の暗部に敏感で、言葉を連ねてネガティブな感情を見つけて掘り起こして刺激して、そのことで人を自分の意のままに操るのだなあと思わされる。ツナにも弱みがあって、そこをライに見抜かれている、そのことに対する怒りを、夫や親友の敵、ということにすり替えている、潔癖だからこそそうせざるを得ないツナを、ライは見抜いているっていう。しかもツナは、そんな風に自分の暗部を見抜いているライを憎みながらも、結局は激しく惹かれてもいた訳で、そのことに対する怒りやら苛立ちやら、そういうのが全部、ライへの憎しみっていう形で結実したんだろうと思う。
最後のシーン、マダレはキンタにその剣で刺せと命じているのに、目の見えないキンタが手探りで剣を探しているのを遮って「わたしが!」ってツナがライを刺すんだよね。あれはやっぱり、地下牢でマダレに救われたことで一皮剥けたというか、ライへの自分の感情の偏りを自覚してのことだったのかなあと。そうして、ライをしとめた、とマダレと言い合うシーン、様子のおかしいツナにマダレが「どうした?」って訊ねる、その古田さんの口調が、ちょっと説明がうまくできないくらいすっごくいいんだけど、それに答えて、なんでもない、と言ったあと、「ただ、あんなに激しい思いに駆られる日は二度と来ないだろう、そう思っただけ」と放心したように言う秋山さんの台詞がなああああ、もうなああああ。ホントに、すっごいいいんだ、うっとりするほどに。この台詞が好きすぎて、戯曲なしでもソラで書ける。「もう二度と」じゃなくて「二度と」とかね。そんくらい好きだったなあ。
いい舞台はたくさんあるけど、納得のゆく女性が描かれているものは結構少ないように思う。この舞台のよさの一端は、ツナとシキブの女性としての強さ、切なさ、悲しさがとても真面目に描かれていた点にある。少なくとも、わたしにとっては、ツナとシキブはちょうツボだった。

染様のはなし

今更何をか言わんや、というほどに圧倒的に素敵だった。歌舞伎座で何回かと、現代劇では幸四郎との親子で出た三谷さんの「マトリョーシカ」も観ているのだけど、正直、そんなにいい印象なかったんだけど…今回は見事にヤラれた。完敗。
何度か書いてるし、この芝居のことを話す度に皆に熱く押し付けがましく語っていたのだけど、ライの長台詞が乗って来たときの天然のグルーブ感がめちゃめちゃ心地よくて、伝統の芸というのはそういうものなのだなあとつくづく思わされた。ああいううねりは、現代劇の役者さんには出せない*5ものだからなー。
あと、やっぱり「見得を切る」っていうことの意味が。あれは理屈じゃなくて、拍子木と演者の間合いがかちりと噛みあう瞬間のカタルシスってことだから、生の地方さん(邦楽の演奏をする人たちのことね)の音で舞台踏んでる人じゃないと身につかないもんであってな。そういう意味では、わたしの大好きだったシーンで、「行くぜキンタ!」「行くぜって、どこへ?」「決まってらあ、エイアンの都へだ!」と見栄を切って跳び六方踏んで花道をハケてゆくライに、「アニキかぅっこいいー!」と大喜びしたキンタが、「このキンタ、どこまでもアニキと一緒だぜ!」と金を首に下げて、真似っこ六方を踏んで花道を追いかけで駆けてゆくところ。あの、見得とか六方を真似る感じ、あれが「染五郎だからこそキマるネタ」っていうことの証拠なんだなあと思う。しかも阿部さんの跳び六方、ちょっと違うんだけど、違うなりに妙にダイナミックになってて見応えがあるっていうのがまたね…ずるいことです、ええ。
とにかく、ホントによかったのだ、今回の染様。あー来月ゲキシネで髑髏城観るのがムショウに楽しみになって来たなー。えへー。

それから

役者を見るとき、どれだけその役者のことを観た回数があるかによって思い入れが変わるのがわたしの悪い癖で、それで言ったら今回は、圧倒的に阿部サダヲ秋山菜津子に持ってゆかれたようなもんだったんだけど、染五郎古田新太も高田聖子も、「そんなに観たことないけどこのすごさは一目瞭然!」みたいな凄みのある芝居を見せてくれたから、ホントにたっぷり楽しませてもらった感じだった。ちゃんと皆に感じるものがあったし、阿部さんがいい役をやらせてもらっていたなあと思うけど、それだって染五郎のライと一連托生というか、どっちかが弱かったら、もう片方がどれだけいい芝居をしても活きない役だったと思うから、一人勝ちだとは一切思ってないし、むしろカンパニー全体の勝利っていう感じだったと思ってる。
ただ、それを文字にしようと思うと、文字を捻りだすのは脳みそだから、気持ちのほうが震えた理由を、脳みそが分かるようなやり方で整理できないと書けないものでもあって、そのためには知識というか、自分の中のグロッサリー(翻訳のときとかに使う…用語集? 対訳語集? みたいな)がちゃんとある人のほうが書きやすいという側面はどうしてもあるんだった。何度も芝居を観たことがあって、気持ちが動いたことがあった役者については、わたしの中に「言葉」が蓄積されているので、それを使ったり、それを改めるっていう形のワードチョイスをすることがたやすいのです。殊に、文章にしたことがある役者については、自分の気持ちが動かされた経験を、一度そこで「言葉」で解析しているから、次に感情を動かされたときにも語りやすいという感じ。だから、阿部さんについてばっかり書いてる気がすっけど、単純に慣れの問題であって、今回はホントに、メインキャスト全員に対して思い入れた。こういうの、わたしは結構珍しいんだよなあ。
何より、世界観の強度と、それを表現するための演出力がとてつもなくて、今までそんなに前のめりじゃなかった新感線に対する目が変わってしまいそうな感じがしているよ。ハードロックは別に好きじゃないし、笑いどころもベタすぎるし、って今まで思っていたのにね…あと何より今回は、宣伝美術のアートワークが素晴らしくて。パンフもたまらなかったので、こういうところに力を入れている新感線に切実に好感を持ったという感じ。大人計画も、そろそろ公演パンフ作んなさいよ…!(切実
やあ、とにかくホントに楽しかった。よく出来た物語に華麗な演出、ノリノリの役者たちの生身の勢いをたっぷりと見せ付けられて、3時間半が長いと感じたことは1回もなかったです。6回観た、ってことは、ええと…21時間?! そんなに観たの?! やあでもホント、21時間、幸せだったので。大阪公演もいい感じで進んだらいいですね。わたしは、今年はあまりヲタっぽい芝居の見方とかはすまい(5月の大人の本公演までは)…って思っていたのに、1月からがっつりオトされて正直へこんでます。台詞覚えちゃうような見方をするのは控えようと思っていたのにな…えーん。まあ、それくらい楽しんだ舞台でしたよ。御馳走さまでした…!!

*1:と言いつつ、おととしとか嗄れてましたけどね…ああいう人の喉がひどいことになっているのはすごく怖い。役者の身体能力に呆れさせられるのが楽しい部分があるので、それが崩れたりするとすごいショックを受ける。以前、ラーメンズ片桐仁が本番中にぶっ倒れたのを観てしまったときも、ショックのあまり泣いてしまった。

*2:そう言えば、新感線てあんまりとび蹴りしないのかしら。阿部さんのとび蹴りに「Oh!」みたいな客席の反応が巻き起こっていたのが結構新鮮だった。大人計画は基本的にとびまくり、蹴りまくりだからな…女優でもハイキックするもんねー。

*3:しかも公演日程最後のほうになったら、乳首をつまむしぐさまで…下品だよ!(おおよろこび。

*4:この人が出ていないシーンはごくごくわずか。オオキミとシキブの最初のイチャイチャシーン、サダミツとアラドウジの悪企みシーン、森に逃げ延びたマダレとツナがキンタに再会するシーン…くらいかな?

*5:ただ、阿部さんがモノマネをしているときには出せるかもって思う。魂のコントで中村勘三郎さんのモノマネをしているときの感じ、このうねりを割と上手くつかまえてる気が。なんかね、意外とあの人はやれば歌舞伎っぽい芝居もできるんじゃないの? なんつうことを思っていて、そう思う度に、でも自主的にやることじゃないか、なんて思って、そう思った後に必ず、2年後までに実現させると勘三郎が言い放っていた「歌舞伎座宮藤官九郎の新作歌舞伎」っていうあの話を思い出す。歌舞伎座の、あの小屋自体が持つ天然の音響効果…あれに阿部さんの声が乗っかったら、って想像しただけでぞくぞくする。宮藤歌舞伎が実現するのであれば、そしてそれがホントに歌舞伎座でやることになるんであれば、あそこで阿部さんを観られる機会なんてこれを逃せば多分死ぬまでないだろうから、何がどうあっても、阿部さんにも出てもらいたい、って思う。そこでまた染五郎と共演したらいいじゃない…!(暴走(夢見がちすぎ(これはミクシでこっそり書くべきことだったかも(自分の妄想っぷりが気持ち悪いよ(粘着な人たちは頼むからスルーしてください。