デジカメ女

きのう、大人計画本公演「まとまったお金の唄」の東京楽日を観て来た。結構前方で観ることができたんだけど、公演の最中にわたしのすぐ隣の席の女が、デジカメでフラッシュ焚いて舞台上の役者を撮影していた。
カメラマンでもないのに舞台撮影。まったく意味が分かんない。
ああいう人って何をしたいんでしょうか。あんな声で、あんな手足で、あんな風に演じている人たちを、どうして静止画像に閉じ込めようと思うんだろう。納まりっこないじゃん。バカバカしい。
舞台の上で役者たちは、その瞬間に目の前にいる客のために献身的に芝居をしてくれている訳でしょ? 劇場という同じ場で、同じ時間を共有しているからこそ、彼らがその場で作っている世界を味わうことができる訳で…共犯っていうと言葉が悪いんだけども、「あなたたちだけにお見せします」というのが生の舞台だけが持つ大きな魅力だと思うのね。その優遇感を強調するにせよ、しないにせよ。
なのに、折角同じ場で、愛する役者が別の人生を生きるさまを見せてくれているのに、その場にいた人しか観ることができない「生」の出来事をデジタル媒体に記録してしまうセンスって何なんだろう。理解できないわ。役者に対する独占欲の転移なのか?
あ、ちなみにこれ、「あいつだけズルイ」という気持ちではないですよ。別に素人撮影のデジカメ画像なんてわたしはほしくないし、そんなものなくても、思い出したいものは思い出せるからね、わたしのほうは。だから、写真がないと思い出せない人とかいるのだとしたら、そういう人の気持ちはわたしには分からない。とにかく、ものすごーいナンセンスだと思うだけだ。
唯一の救いは、フラッシュが舞台上の諸々に影響したりはしなかったってことかな。ちょっと特殊なシーンでの出来事だったので、芝居がブレたりってことはなかった。それは不幸中の幸いだったなあと思う。まあ、そういう意味ではタフな人たちだと思うんで、別にフラッシュ1つで芝居ががたがたになったりはしないだろうけどね。
でも、客席にいるこちらはそこまでタフじゃないから、公演中にそういうことを真横でされると、「この女、どうしてくれよう」みたいな、驚きとかムカつきとかで頭がいっぱいになってしまって、舞台そのものに意識を向けるためには努力が必要な状態になってしまった。この舞台、何度か観たけど本当に好きで、今日は見納めだなあと思っていたのに、そんな感慨もなく、鑑賞に集中するためにまず必死っていう。そんなの舞台を楽しむテンションじゃないじゃん。
ものすごく口惜しいですよ、この舞台が好きだっただけに。ちゃんとお別れしたかった。邪魔したデジカメ女が本気で憎い。今思い返してもムカムカします。わたしの楽日を KA・E・SE! キイ!
大阪にはバカがいないことを祈ってる。こんな口惜しい思い、誰もしないで済みますように。