嫌われ松子の一年

嫌われ松子の一年

嫌われ松子の一年

読了。すごく面白かった。中谷さんは文章がものすごくうまいなあ。
これ、ちゃんと撮影期間中の「日記」になっているんだけど、日記って毎日のアレコレのうちの何を書くかが絞れてないと散漫になるもんだと思う*1。勿論、その「散漫」が面白い日記も世の中にはたくさんあるんだけども、この本は、実際の毎日から文字に抽出するポイントが終始一貫してる。その集中力、ぶれなさ加減がこの人の文章の「うまさ」だと思う。
面白かったのは、映画が後半に差し掛かるくらいのところのすごく大切なシーンを撮影した日の日記。わたしはこの映画を観たとき、そのシーンの中谷さん、というか、松子の表情についてこんな感想を書いた。

開き直って龍についてゆくって決めるところのあの顔ったらなかった。あんな顔されたら、誰だっておかしくなるわ…っていう説得力がね、もう。

実際、このシーンを撮影してるときに中谷さんはちょっとおかしくなっていたらしくて、テンションで芝居した後にアップのカットを押さえるためにシーンを繰り返してたら、「脳みその開いてはいけない分野を開けてしまったような感覚を覚えた」って。あーやっぱりねえ、と思った。ホントに、ちょっとすごい表情だったんだもん。怖い女優だなー*2って映画を観たときは思ったけど、むしろあれを引き出した監督がすごいってことだったのかな、とこの本を読んで思った。
この人がこの一冊で繰り返し綴っているのは、監督とこの映画への執着。思い入れてないよ、ということを繰り返し言葉にしているけど、原作者が撮影の見学に来たとき、「監督が話を滅茶苦茶にしてしまったけど大丈夫だろうか」みたいな視点で書いてたのがすごく面白かった。要するに、完全に監督の手の内に入ってるんだよ、ってことを色んなやり方で表現してるんだ。なのにちゃんと自分のことを見てくれないから、撮影ボイコットとかしたんではないのかしら。
松尾さんがこの本を、中谷さんから監督への「ラブレター」だと書いていたけど、ホントそうだなーって思った。彼の悪口を言えるのはわたしだけなんだから、っていう、そういう可愛い恋情みたいな。しかもそれが、本音ダダ漏れってレベルなのか、一つの自己演出なのかが分からないところが、恐るべし中谷美紀、恐るべし女優、と思ったことである。
あと、この映画のケータリングを手配していた制作スタッフは最高だと思った。本当にこの点はつくづく感動したなあ。慣例で逃げずに、ちゃんと気持ちのこもった食事を用意する人がいるっていうことの安心感ったらないと思う。素晴らしい話です。
にしても、わたしはこの映画を観て、監督や役者に気持ちが行くことがなかったのね。こんだけわあわあ言うてますが、八女川だって中の人がどうこうというより、八女川徹也という文学を志す男として見て痛がってたし、他の役もしかり。これは各役者への意識を凌駕するくらいの強度で、物語が成立してたっていう証拠なんだと思う*3。そんな中で、この本は映画と切り離して、読み物としてものすごく面白かった。映画への思いとは違う方向に楽しめた感じ。いい本です。

*1:当然、自戒を込めて書いておるのでツッコミ不要。

*2:ちなみに彼女の映画デビュー作「BeRLiN ベルリン [DVD]」を公開時に劇場で観た記憶があるんだけども…今イチだった。利重剛の描くファム・ファタルは、単なる不思議ちゃんに見えてしまってわたしは思い入れにくい傾向が。そのせいで永らく、女優・中谷美紀の印象はかなり悪かった。払拭されたのは大石静脚本のテレビドラマ「DAYS」だった。

*3:余談ですが、何となく、自分がフィクションに接するときの基準が見えた気が。多分、笑えるものか、その物語の中で人がちゃんとその人の人生を生きているように見える強度のあるものか、どちらかじゃないと気持ちが動かないみたいだ。