サマヨイザクラ・裁判員制度の光と闇(上)/郷田マモラ

好みの絵じゃないし、作者のペンネームの方向性はむしろ首を傾げるようなテイスト。夫が買ってこなかったら手に取ることは絶対なかっただろうけど、でも、読んでみたら滅茶苦茶面白かった。
いわゆるネットカフェ難民である28歳の主人公が裁判員に選ばれ、同じ年齢の殺人犯の生死を分ける裁判に参加する、というのが物語の骨子。この主人公の背景がものすごく現代的で、食品メーカ企業の製造日偽装問題、ネットでの晒し、社内いじめ、日雇い派遣、両親からの厚すぎる期待、アニメのキャラクターへの過剰な心情投影、ネットカフェ連泊…と、なんというか「クローズアップ現代」的な要素がぎっちり詰め込まれている。社会のどん底にいる、と本人は思っているけれども、読者から見たら甘いというか、まだ抜け出す道はいくらもあるだろうにネ…という感じも、今の世相的に、かなり生々しく感じられる描き方になってるなあと。
一方、裁かれる側の犯人は主人公と同じ年齢で、地域の名家に生まれ、両親の期待に応えるべくいい学校に入ったものの、内向的な性格が災いして大学を中退、10年間引きこもり、近所の主婦3人を殺害した罪で裁かれることになる。3人殺していれば、通常死刑は免れない訳で、犯人もその母も死刑を受け入れるという意味の発言を法廷でしている。じゃあ何が争点なのかと言えば、事件の背景に、地域住民による犯人一家へのえげつないいじめによる「集団の悪」が存在していたのではないか? という点で…これもかなり現代的なモチーフだと言えなくもないなあと感心することしきり。
物語としては、犯人を担当する弁護士がこのいじめの実態を暴露してゆく過程と、「集団の悪」と殺人を秤にかけたときの裁判員たちそれぞれの考え方にくっきりと差が出る点、それから、主人公が犯人に対して、時に自己投影したり見下したりする、その気持ちの揺らぎ…等々が交差して展開して、裁判員制度の詳述と織り交ぜられ、すごく面白い読み物として成立している。中でも、裁判員たちの考え方の差異の出方なんかは読んでいてすごく生々しかったなあ、裁判員制度の抱える難しさと意義を分かりやすく物語っているように読めて。
この作品で描かれる裁判の裁判員は、年齢や性別、職業がばらばらの6人なので、社会における立ち位置によって、裁判で明らかになる「事実」の受け取り方、咀嚼の仕方が各自全然違っている。それは当然のことなんだろうけど、いろいろなことが分かってきたときに主人公が感じる戸惑いや揺らぎに対し、まったく揺らがず「3人も殺したんだから地獄に落ちるべき」と断言する老人も同じ場にいて、その老人の揺ぎなさにまた動揺する主人公…という構図は、おっかなさを孕んでとても興味深い。合議制を採っている以上、「事実」に対する裁判員個人の見解だけで判断することは難しいんだよね…裁判員制度における量刑の判断は、基本的に3人の裁判官と6人の裁判員の合議体の過半数を占め、かつ裁判官と裁判員のそれぞれ1人以上が賛成する意見による必要があるんだそうで、周囲を巻き込む形で持論を主張する「声の大きな人」がいたら、その人に引っ張られる可能性は否めない。そういう、裁判員制度の怖さがふっと匂った感じがして、ところどころ、読んでいてひやっとなる感じがたまらなかった。
この上巻で描かれているのは、5日に渡る審議の3日目が終了し、閉廷の土曜を挟んだところまで。検察側はいじめの存在を否定しているものの、弁護側は起訴事実をすべて認めた上で、いじめがあったことを暴くためだけに戦っている、という時点。弁護士は死刑撤廃論者のようで、犯人もその親も死刑を受け入れているのに、弁護人は裁判員たちに対して、フラットな感覚で安易な死刑判決を生む世相を変えるためのきっかけを作ってくれ、とオルグする(このシーンが大コマで、すごくいい)。そのことで選民意識と義務感を植えつけられた裁判員たちの気持ちが徐々に昂ぶってゆく様子も、この裁判を引っ張っているのがこの弁護士なんだということを強く物語っていてうまいなあと思った。下巻に対する期待を盛り上げるのに充分という感じで読み応えがあったことです。
この後、この弁護人のモチベーションに自身の過去が関係していることが明らかになる…という予兆だけが提示されて上巻は終わっている。とても面白かったので下巻が楽しみです。
それにしても、この絵はつくづくすごい。最初はかなり抵抗を持って読んでいたのに、読んでいる間にすごい勢いで見慣れてゆく感覚が自分でも不思議だった。記号っぽい絵だから、こういう物語ではキャラクターに余計な意味が付かなくていいのかもしれないな。