おひとり様物語(1)/谷川史子

おひとり様物語(1) (ワイドKC)

おひとり様物語(1) (ワイドKC)

未婚・彼氏なし、遠距離恋愛、生活時間帯のズレ、などによって、いわゆる「パートナー」(って言い方するひとなんかきらいなんですけど)が同席していない日常を送る女性たち=「おひとり様」を描いた短編集。
谷川さんは、はてな女子が絶賛するのをよく見かけていた。むかぁし、ぶーけ休刊寸前頃に何作かぶーけで描いてらして、それを読んだことがあったように記憶しているんだけど、そのときに少しの違和感を感じていたので、この高評価と自分の体感の落差に興味があってこれを手に取った。
結果、よくできてんなー、うまいなー、という種類の感心に終始してしまったんだけど、もうびっくりするくらいしっかりした、うまい「少女」漫画だった。
性質のいい、まじめな女の子がいて、日々まじめに暮らしていて、うまくいかないことやいやなこと、寂しいこともいろいろあるけれども、ちゃんと報われることだってある、だから大丈夫。っていうような漫画。多分、性質のいい、まじめな女の子が、なんだかうまくゆかないなー、という風な閉塞感を感じたとき、これを読んだらものすごく勇気づけられるんだろうと思う。そういう力がある作品だということはよーくわかった。
ただ残念ながら、わたし自身は性質がよくもまじめでもなく、こういうので勇気づけられる人間でもまったくなくて、むしろ無責任に根拠なく夢を見させて失望を誘うものだ! と反感を持ってたのかもしれないです、若い頃。それで苦手だったのかもしれない、谷川さん。いまさらながら、10代で読んで苦手だと感じた原因がわかった気がした。
「おひとりさま」という言葉からは当然、上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」が思い出される訳ですけれども、谷川さんが描いている「おひとり様」たちは、上野さんが論じたよりもゆるい感じ。このエントリの最初に書いたとおり、「パートナー」が日常に(実体として)存在していない人を「おひとり様」として描いている。
両親と同居している主人公もいるから、一人暮らし=おひとり様、ではなく、「パートナー」がいないこと=おひとり様。でも、遠距離恋愛カップルやら、同棲してるのに仕事の時間帯がズレててお互いの寝顔しか見られないカップルやら、毎日「パートナー」と満足にコミュニケーションできない=おひとり様もいる。結構ね、「おひとり様」のバリエーションが幅広いんです。
でも、いずれも成人している大人の女性のはずで、その割りにはなんか、描かれている悩みとか寂しさとかが幼いように思えて、だから物語じたい、全体的にふわふわして感じられた。確かに女性は、いくつになっても被害者意識に子供っぽさが残りがちですが、主人公たちは自分の環境や状況に対して無邪気に寂しさを感じたりしていて、その様子は「少女」漫画そのまんまだなーと。
一般的に言って、「おひとり様」とされる妙齢の女性たちが直面する寂しさは、大半が大人だからこそ背負わざる得ない質のものだと思う。でも大人は、ほんとうに寂しい場合は自分の寂しさを敢えて意識したりしないもんだと思うんです、それしちゃうと動けなくなるから。動けなくなっても許されるのなんて「少女」だけですよね。それが許されなくなった大人は、どれだけ寂しくても、その寂しさから無意識に逃げて、気付かない振りをどれだけうまくできるかに精力を傾けるもんだと思うし、そのつらさがあるからこそ、いろんなことが豊かに感じられるようになるんだと思う。それが大人のつらさであり寂しさであり、楽しさでもあるとわたしは思ってる。
でも、この主人公たちはそこまでのつらさを見せることもなく、「なんとなく」なきっかけで自分の現状を寂しがり、「なんとなく」な出来事で「なんとなく」救われて元気になって物語が終わってゆく。特に何かが変わった訳じゃないのに、気の持ちようで世界が変わる…という、非常に「少女」漫画的な結論で物語が閉じられているという印象。わたしはこういう「少女」漫画の理論を、一概に全部悪いと思っている訳ではないんですけど、「おひとり様」っていう切り口と合わさった途端、結構な違和感を覚えてしまったな。大人なのに、「少女」漫画の理論で救われる、っていう描き方には、あんまりぴんとこなかったですわたしは。
これくらいの中年になると、この一冊に描かれているいろんな種類の「おひとり様」の寂しさのうち、大部分は実際に経験したことがなくもない。だから、その設定のバリエーションや、そこで寂しさを主人公が感じているだろう、設定や仕組みのうまさには舌を巻いたし、妙齢の読者が自分の寂しさを投影しやすいんだろうっていうのもよくわかった。でも、それぞれの寂しさに宛がわれている救いのあいまいさ、なんとなくさは、あまりにも物足りなく感じられてしまってね…そんな簡単に救われませんからね大人は、って思って、大人の孤独なめんな、みたいな気持ちに、ちょっとだけ、なってしまった。
まあこれはきっとわたしがひねくれ者だって言うだけの話なんでしょう。大人の寂しさと救いを描くならば「なんとなく」じゃなく、もっと本質的につきつめて、しっかりと描いてほしい、と思ってしまう性質っていうだけで。未婚の「おひとり様」の寂しさは、掘り下げればどんどんおっかない要素(誰からも必要とされていないという絶望、自分の経済力への不安、周囲の同世代への嫉妬、自分だけじゃなくて親の老いへの恐怖、等々)に抵触しちゃう訳で、そこまでほじくらずに済ませていることを、やさしさととるか、浅さととるかの違いなのかなーという気がします。不細工な思春期女子の孤独を綺麗に描いて評価されている「君に届け」が、わたしには届かなかったのと同じ理由かな。
でも、そういうのを全部抜いてフラットに「少女」漫画として読めば、ものすごーくよくできた漫画でした。完璧に安定した、むちゃくちゃうまい「少女」漫画。殊に(上でも書いたけど)設定のうまさとそのバリエーションにはひたすら感心してしまった。人気ある理由と、自分があんまり…と思った理由がよっくわかって面白かったです。