少年メリケンサック

数週前にやっと観た。公開後1ヶ月くらい経ってたのに、週末の午後のバルト9は満席でした。すごいね。
愛する宮藤官九郎の監督作品第二弾、ということで、期待して観に行った…のは、さぞかしばかばかしく仕上げてあるのだろうなーという期待だったんですが、そんなでもなくて残念だった。わたしが宮藤さんに思い入れを持ちすぎているせいなのかもしれないけど、「こんなもんじゃないだろう!」という後味でした。なんか、冷静じゃないなー、という感じがした。なんでだろ?
勿論、宮藤さんの脚本作品て、ドラマも映画も、奇妙なテンションがあるので、ぱっと見「冷静じゃない」んだけど、その実、必ずその舞い上がりをしっかりと回収するシーンもあって、トータルで見たらバランスが取れた作品になっていることが多いと思う。でもその点、この映画はバランスが崩れてる感じが。客観的じゃないというか。
なんか、たぶんこの映画観終えたら、嫌いだったパンクがちょっとだけ好きになった、とか、パンク悪くないじゃんと思うようになった、とか、ダメなおっさんたちが格好よく見えるようになった、とか、そういうところに着地すべき映画なんだろうと思うんですけど、わたしは全然そういう風に思えなかったし、おっさんたちも格好よく見えなかった。最初のまんまでした。
思ったのは、宮藤さんがパンクを好きすぎて、その「好き」を描くときのアプローチに迷走して、パンクの奇怪さばっかり強調しちゃったのかなーと。客観的に、もっとわかりやすい「パンクのよさ」を盛り込めば落ち着きがよかっただろうに、たぶんパンクが好きすぎて、当たり障りのない方向に視野を切り替えられずに、奇矯なところばっかりにフォーカスしちゃったんだろうな…とそういう印象です。題材選びに失敗したのかもしれないですな…宮藤さんみたいな照れ屋は、好きすぎるものは題材にしないほうがいいんだきっと…。
何より、わたしはアキオがどうしても嫌な人間にしか思えず、生理的に我慢がならんかったです。佐藤浩市さんはそりゃあ確かに格好いいけど、佐藤さんがあんな役をやっているというマッチングの妙は確かに面白くはあったけど、でもそれだけだった。あおいちゃんと佐藤さんがあんなことを! こんなことを! という意外性しか提供していなくて、彼や彼女が演じている役の行動だとか言葉だとかに気持ちが動く感じはほとんどなかったのが残念。正直ライブシーンもそれほどじゃなかった…ストーンズピクシーズのライブの記録映画と比べるのも酷だけど、作られた、撮影されたライブシーンだな、という風にしか観えず、あまり熱量は伝わってこなかったです。
でも、あおいちゃんは本当にがんばっており、ものすごいかわいさでものすごい顔をものすごくたくさんしていて、ものすごくよかったです。彼女の存在自体がこの映画の最大の見所だった。なので、1800円返せ、とは一切思わなかったです。これが主演平岩紙(大好きだけどね!)だったら微妙だったと思う。あおいちゃんが演じた役柄自体はもう全然、いつもの宮藤ドラマ同様に意味のない女の子の役なんだけれども、その存在の意味をあおいちゃんのかわいさが無理やり生み出してしまっていたよ。あんなかわいさの前ではどんな脚本も演出も無意味と言えなくもないが、「何をしても徹底的にかわいい」あおいちゃんの、いろんな顔を引き出したのは監督の功績な訳で、宮藤さんの作品であんなに「女の子のかわいさ」が前面に出ちゃった作品て今までになかった気がするので、これはこれで新機軸かな、とも思ったりした。
あと、田辺くんも見所だったけど、お客さんたちポッカーン、という感じでした。わたしひとりで笑ってた。田辺くんとユースケと勝地くんは宮藤作品らしく機能していてよかったんだけど、メリケンサックのメンバーがなんか、普段の宮藤作品のような軽やかさがなかったんだよなあ。描いてるほうがバンドに思い入れが強すぎて、冷静じゃなかったからなのかもしれないけど、そこがなんとも残念だった。そういう感じです。
なんか、これと「蜉蝣峠」と、最近宮藤作品イマイチだと思うことが多く、残念な気持ち。でも別に「最近の宮藤さんがつまらない」っていうことでもない気がするんだよ、だって「流星の絆」はすごいよかったんだもん! 土台となる原作とか原案とかがあって、その上で暴れているタイプの宮藤作品のほうがわたしの好みに合う、ということなのかしら…でも「木更津キャッツアイ」も「真夜中の弥次さん喜多さん」も好きだったけどなあ。うーむ。今後の宮藤オリジナル作品が気になるところ。目下は「R2C2」かな?