モテキ (2)/久保ミツロウ

モテキ 2 (イブニングKC)

モテキ 2 (イブニングKC)

ところどころ、本誌で読んだ話が混ざっていて、その隙間を埋めるように通して読んだ。なんつうかもう、林田尚子がわたしの言いたいことを全部言ってくれているので、もうそれでいいじゃん、ってくらい。関係ないけど、はやしだなおこ、と、はやしばなおこ、は似ているよね。
2巻出たから1巻も読み直して気付いたんだけど、1巻の時点でも既に、林田がわたしの言いたいこと(「皆いい子じゃん、そんなに好きでもない藤本の相手してくれて」「勃たなかったのなんてタイミングに過ぎないんだからもう1回お願いしたらいいじゃん」的なこと)をしっかり言ってくれていて、ああ、そこに意識を向けずに勢いで1巻の感想書いたの失敗だったわあ、と思った。だからブコメで袋叩き → こちら に遭ったりするんだわあ、あはははーって。
でもなんか、今になったら自分でも、あんなキツい言葉で書かなくてもよかったなと思います1巻の感想。過去にイライラさせられた藤本型男性たちを思い出しすぎてつい筆がすべった。筆使ってないけど。書いたことじたいはホントに思ってることではあったけど、言葉強すぎたなっていう反省は全然あります。だから、ブコメでつけられた文句にいちいち返したい気持ちはあれど、そんなことしてもしょうがないし、「そういうつもりで書いてない」っつってもそう読めたって言われたらそれまでだし。おおむね甘んじて受けたいと今は思っておるよ。
ただですな、2つだけ言いたいことがあるんですよ。なのでそれを書くよ。
1つめは、「漫画の感想のテイで特定の層を貶めるのはいただけない」的な意見ですが、特定の層を貶めてもわたしが得することは何もなく、貶めたかったのは自分の記憶の中にある藤本型の男性たちの不甲斐なさであり、それに振り回されていた過去の自分のバカさでもあって、それが「俺(ら)のことじゃん」的に読まれて反感喰らうってのがわたしには計算外だった、っちゅうことです。わたしがした藤本否定が接点ない人たちにそこまで届くと思ってなかった=想像力が足りなかったのは事実だし、ルサンチマンに巻き込んだ形でヤな思いをさせた人がいたってだけでも充分反省に値すると思ってる。申し訳なかったです。素直にアイムソーリー。当方もう既婚中年なので、別に熱心に現実のそういう人たちを否定していい気分になりたいとは思ってません。つい興奮してキツく書いちゃっただけ、ってことで、できることならご容赦願いたいものです。
2つめは、「藤本の身勝手さは糾弾するのに女の子たちの身勝手さは糾弾せんのか」的な意見ですが、これはごもっともーって思う。っていうか、その指摘にこそわたしの本意があるんだけど、要は男も女もおんなじなんですよーってことだと思う。どっちもどっち、どっちも身勝手なので、先に相手の身勝手に献身を見せれば相手はすっごい喜んでくれますよ、って話なんじゃないかなあと思う次第。先に好きになって恥かきたくない、自分に自信がないから好きだって言われないと安心して行動に出られない、っていうのは藤本だけの屈折じゃなくて、女の子たちだって似たようなもんなんですよ、藤本が「好き」って言われたいのと同じくらい、女の子たちだって「好き」って言われたいんですよ、って。だから先に藤本が好き好き言えば、女の子たちは満更でもない感じになるんですよ、って。そこがポイントだってのは、1巻の感想書いてる時点では漠然としていたんだけど、2巻読んで確信に変わった感じです。
あ、ほんで藤本だけ糾弾してた理由としては、この漫画の主人公が藤本で、1巻では藤本目線しか描かれていなかったからってことと、わたしが女だからってことが言えますよ。これも2巻読んで「そうそう!」ってなったんですけど。
で、2巻。ようやく2巻の感想なんですが。
上で言ったような、「先に好きになったら好きになってもらえるのに!」っていう感じ、それを鬼こと林田尚子がものすごく的確にしてて、わああ、そうそうそういうこと! ってなって、そこから後の藤本のがんばりにわっしょいわっしょい! と盛り上がっておった次第。少なくとも、対いつかちゃんにおける2巻の藤本は、1巻の藤本の500万倍くらいイケていた。格好よくはないかもしれないけど、別に格好よい=100人中100人の好意を集める必要なんてない訳で、目の前にいる好きな(好きになりかけている)女の子の気持ちにだけ届く言葉が言えるんだったらもう、それで充分なんだと思うんですよ。
というか、わたしはいつかちゃんに昔の自分を思いっきり見てんですよね、20代前半くらいの頃の…自己完結しがちで、片思いしてる自分をちょっと見せびらかしたい感じもあって、だから、第三者に気付かれると一気に気持ちが寄っかかってしまうという…。なのであの、墨さんのマンションから帰ってくる朝の電車の中のシーンとかヒイイイイイってなって、いろんな傷がパッカー! て開いてイテテテ…ってなりました。あれ読んで引いてる男性読者多いだろうな、さすが女性作家じゃなきゃ描けないアレだよな…って遠くを見たりしたよ、ふふふ…。
そうやって、いつかちゃんにシンパシー抱いているから余計、「いつかちゃんのことが気になってる」「俺のこと考えてよ」ってあんな風にちゃんと言われたら、いつかちゃんみたいなああいう子はああいう感じでああなって、結局藤本と付き合ってもいいなって風に落ち着くには充分よね! って拳力いっぱい握って思った。なので、よおがんばったよおがんばった! って藤本の肩をばんばん叩きたい気分でいっぱいでした。コーヒーに砂糖とかね…あれよかったなあ、うんうん。
そもそも、1巻読んで感想書いた時点ではわたし久保せんせえの漫画他に読んだことなくって、単に「あるある」ネタの集積の生生しいキャラを使った傷えぐり漫画なのかと思ってた部分があるんですけど、その後に「3.3.7ビョーシ!!」読んで、久保せんせーの応援気質というか、ディティールはいろいろ凝ってても、基本的に読者を強烈に励ます作風なんだってことを知って、藤本のことも成長させてあげるのかなーって期待してたんですな。なので、なんか藤本の変化はその期待がかなったような気がして嬉しかった。勿論、この後揺り返しとかもバンバンあるんだろうけど、短期的にいま、この瞬間だけ言えば、藤本がんばって! って気持ちでいっぱいです。
1巻の感想で藤本をうんこ呼ばわりしてたくせに、って思われるやもしれませんが、「うんこたちを懲らしめる展開になりますように」って書いたのは、裏を返せば「藤本がうんこじゃなくなりますように」ってことでもあったので。藤本を応援したい気持ちに2巻でやっとなれて嬉しいってことです。…あ、そういえば、2巻、というか、藤本が鬼に喝入れられて東京に戻ってきた以降、モノローグが藤本側だけじゃなくて、女の子のほうのも多く入ってきているとこ、うまいよなあってしみじみした、1巻の時点では「女の考えてることなんてわかんねえよ!」っていう漫画に読めたものが、2巻で段々、「女の子だってこーやって考えてんだよ!」っていう要素が出てきてるとこ。こうやって読んでる間に、男性読者にも、女の子だって同じことなんだってば、っていうのが伝えたいのかも…ってまあ、それは穿った見方かもしれません、こういうこと書いてるとまた作者の意図を都合よく解釈してるって知らない人に怒られちゃうから、この話はこれまでにするけどな! にこにこ。
ただ…これ言っちゃおしまいなんだけど、藤本ってどうしたいんだろうな…っていうのはあるよね…。要は「モテたい」って簡単に言うけど、何をもって「モテ」とするか、っていう定義の問題なんですけど。女の子たちに相手にされたい、っていうのが一番最初の「モテ」ビジョンだとしたら、相手にされ始めたところからより具体的なビジョンが必要とされてくる訳で。何人もの女の子に男として色気を示されたいだけなのか、いいなと思う子と寝たいだけなのか、彼女を作って仲良く仲良くしたいのか。どれがいいのかによって、完成形の「モテ」が違うと思うから、そのへんどうなってゆくのかがよく見えない部分はあります。
あと、これは作品と関係ない下世話な興味なんですが、1巻の藤本に自己投影してた男性読者たちは、2巻で成長し始めた藤本に対してどー感じるんだろう、っていうのが今はとっても興味があるところで。女のわたしから見たら、藤本はちゃんと(対いつかちゃん面では)成長してるように読めたから(対土井亜紀面は保留)、男性読者たちもその事実は事実として読んでたらいいなあとも思うんですが…まあ、それは人それぞれだし、余計なお世話ってやつよね。近々、時間ができたら感想をめぐる旅に出たいと思う。