くるりワンマンライブツアー2009〜とろみを感じる生き方〜/市川市文化会館(2009.12.18)

宮藤歌舞伎を平日で取るなら、どうせ仕事を休むんだから、ってことでくっつけて行ってきた。秋ツアー最終日でした。
このツアーを11月に中野で観たとき(→id:oolochi:20091115:p1)、えらく複雑な気持ちになってしまったため、歌舞伎座に5時間座ったあとにこんな疲れてる状態で行って楽しめんのかね…と自分に疑問を持ってましたが、全然、ものすごく楽しくて、心底行ってよかった! て思えたので嬉しかったです。わいわい。
終わったあと、何が中野とそんなに違ったのか、ってことをずっと考えていたんだけど、結果、不本意ながら岸田の歌がよかったから、っていう結論にしかならず…まことに不本意きわまりないんですけど、まあ、そういう感じでしたよ、はっはっはっ。なんというか、あれだけ佐藤くん佐藤くんつってても、やっぱりライブの印象って岸田に左右されるもんなのかー、みたいな。まあ、しょうがないよネー。ネー。
市川での岸田のヴォーカルは、地声の高いところが数音ごそっと嗄れて、その音に差し掛かると声が裏返っちゃうようなコンディションだったんだけど、それに臆することなく、ちゃんと「攻めて」たように聴こえたのがすごくよかったです。別に、攻撃的に歌ってる訳じゃなかったし、嗄れてる音を技術的に処理してる部分も大いにあったんだけど、その「数音をやりすごす」ための工夫はまったく腰が引けたものではなく、技術的な要素とパッションの要素の均整は、かなり久々ってくらいに好ましいところに落ち着いてたように思う。嗄れてる数音以外は、低音も含めてものすごく声が出ていて、2年前のパシフィコ横浜のときに近いくらい、全体的によく「鳴って」いる、「歌って」いるなあと聴いててワクワクしました。
中でも出色だったのが弾き語りでねえ。今回のツアーでは、ホールとライブハウスで編成を分けて、ライブハウスでは弾き語りを1曲交えていたのを、途中からホールでも弾き語りをやるようになったらしく、その選曲がまたWESNとか街とかさよストとかロックンロールとか、渋いとこを抑えててギャーいいな、と思ってたんですが、市川では「リバー」で、それがね、忘れがたいほどによかった。ヴォーカルは、言葉を届けるための歌、としてよく響いてたし、激することはないのにちゃんと熱のある、非常にバランスの取れた仕上がりになってたので嬉しかったです。ギターも、ただコードをかき鳴らすっていうんじゃなく、リズムと抑揚がすごく練られていて、♪さみしくてさみしくて羽がもげそうさ♪のあと、原曲にない2小節分単音のフレーズを爪弾いて一旦クールダウンさせたあと、♪移動手段を♪でぐるりと駆け出す感じなんて、小憎らしいくらい、うへえうまいな、とぐっと来た。最後、サビのリフレインの途中でコードの構成を変えて音の広がりを出してたのも、バンドアレンジのアプローチっぽくってすごく好みだった、同じ歌メロを繰り返してるはずなのに、コードの変化でヴォーカルの響きもぐっと変わってゆくあたり、和音マニアの本領発揮って感じで、生理的なとこにダイレクトに響く気持ちよさでした。
これまで、岸田の弾き語りも何度かは観たことがあったんだけども、今回の「リバー」はなんとなく、今までとは違うレベルでいいなあ、と思わされた。騒がしい曲でもなく、弾き語りの音数少ない演奏聴いてるのに、内心やけに興奮して、汗かきながら楽しんでしまったのは、あれ、なんか、違う扉がひらきかかってる…? というような感触を覚えたからだったのかもしれません。ツアー中の弾き語りの選曲のずるさに、ずっとソワソワさせられてたんだけど、もしそんなラインナップを、毎回あれだけの精度で練った演奏してたんだとしたら、そりゃあ新しい扉もひらいちゃうよなあ、ってなもんでして。ホールでも弾き語りやるようになったことで、あーいう風に「次」ぽい匂いを連れて来たんだとしたら、やっぱりどこかひとところに安穏と留まるようなタイプではないんだなあ、とニヤニヤせざるをえない感じです。ま、メガネが何を考えているかなぞ分かるべくもないんですけど、でも、「次」の気配が感じられたっていうのはすごく大きく、市川行ってよかったと思った一番大きな要因でした。
まあ、市川が中野と比べてよかったと感じられたのはもっと単純な、たとえば、「よそでやっていたという『ナイトライダー』を何故今、ここでやってみせぬのかばか!」という苛立ちが解消された(市川ではやったのだ!)から、とか、そういうことかもしれないんですけどネ。あと、2階席だったので余計なこと考えずに音だけしっかり楽しめたのかもなあとか。くるりはホールの前のほうの席ってファンクラブ会員が多いから、くるりに熱をあげすぎていろいろ複雑な気持ちになっている人が固まってる空間があって、中野んときはその真っ只中で観たという感触だったんだけど、市川では一般で取った2階席で、そういう葛藤エリアと離れたのもよかったのかも、よくわかりませんが。小学生を2人も連れて来て、演奏の途中でトイレに連れて走ったりしながらも楽しんでいた若いお父さんや、仕事帰りの社会人2年目くらいのまだまだそぐってないスーツ姿で、ばらの花でちょっと目元押さえたりしてたカップルや、一番気に入ってる服を着てきたんだろう、開演前にそわそわし続けてて「つらいことばかり」で席に座ったまま手を上げてはしゃいでた男子高校生の4人連れや…そういう、素直にくるりの音楽を受け入れる気持ちで来ているお客さんがたくさんいる位置で観たら、なんかアレよね、すごいいいライブだったわよねっ! なんてホカホカ思えたのかもしれない。えへへ、単純なもんですよ。
けど、客って基本的にそーいう勝手なもんだと思うので。ステージの上にいる人たちは客のことなんざ気にせず、愚直に、今向いてるほうへ、向いてるほうへとただただ進んで、結果として何らかの「次」が見えてくるんだったら、それは正解ってことなんだろうなあ、と、そんな風に納得させられた感のあるツアーでした。季節の変わり目みたいな感じで、モードの切り替わりどきはいろんなことが不安定だけど、日本に生まれた以上、四季の移ろいを楽しまずしてどうする、みたいな…うん、全然たとえになってませんが、中野で感じた複雑さも「あれはあれでしょうがない」みたいなところに自分の中で納められた気がします。具体的なものは何も見えなかったけど、確かに「次」がすぐそこにいる、って気配だけはむわんと感じられたので、また「次」が楽しみだなって思えて、それが嬉しかった。だから、市川行ってよかったなと思った、と、そういう話ですな。うん。
つうことで、メガネのヴォーカルの話ばかり書きましたが、演奏全体の話をすれば、何やらぎゅってまとまったよさがあった気がします。そのことのお陰で中野よりよかったと思っている訳ではない、という但し書きつきで言うのなら、市川では、世武さんだけがあまり突出して感じなかった。ただ、それはもしかすると、生ピアノじゃなくてエレピだったから、出音のバランスを PA でコントロールできてたからなのかもと思ったりもする。勿論ホールなんで、元々どこに座るかによっても全然出音の聴こえ方が違ってしまうのはしょうがないんですけど、市川では、バンド全体の音がすごいまとまって聴こえてよかったな、と思った反面、ツアーのラストでエレピて! っていう残念感もあって、わたしにとっては大変なアンビバレンツでした。バランスだいじ! と思いつつも、世武さんがガンガン鳴らす生音がもっかい聴きたかった気もするっていうねえ。うーん、悩ましいところよ…。
でも、エレピでも世武さんは世武さんのペースとトーンをきちんと貫いていたと思うし、観ててやっぱり、わたしこの人好きだわあ、って嬉しくなってデレデレしとりました。また今回の衣装がかーわいくてさあ、ワンピースみたいなチュニックみたいなドレスの、胸元のくっきりしたピンクの模様がお似合いできゅんきゅんしたなあ! ツアー後の年末のイベント関係は世武さんは参加しないのかな、と思ったら、彼女のピアノがのっかったくるりがもう観られなくなるのがかなり寂しく感じられてきたので不思議なもんですね。彼女自身もレコーディングしているようだし、新譜も、ライブも観る機会もあるだろうし、それはそれで非常ーに楽しみではあるんだけども…彼女がいわゆる「駆け出し」なせいで、2ちゃんとかで岸田と付き合ってる説とか流されたり(小学生かっつの!)、ヤな思いいっぱいしたんだろうことを考えると、くるりとちょっと離れたほうがいいのかもしれんねとかどーでもいいこと思ったりもするけど、でも、音的な面白さから言ったら、いいバランス取れれば一緒にやる組み合わせとしてすごくいいと思うのもね、本当のとこなので。
なんかこう、独立してるミュージシャン同士、立ってる場所は全然違うのに、ある一点においては同じ方向を見ていることをお互いが知っていて、それを分かち合って一緒に音を出す、そのときの緊張感というか、そういうのが、わたしは基本的にすごい好きなんですよね。くるりはそういうのができる相手に恵まれるめぐり合わせを持ってるバンドで、だから好きなんだと思うし、世武さんにも同じ性質を感じてるから、こんなに胸が騒いでるのかなーと思う。なので、世武さんが日本のポップミュージックの土壌でいろんなことを試して、「駆け出し」とかって色眼鏡で見られないで済むようになった頃、またくるりと一緒にステージに立つことがあったらいいのにな、って思いました。何故なら、バンドに乗っかった世武さんをわたしがまた観たいからだ! そのときにはメガネが、下がって見えないバランスで相対してくれたら言うことはないなあ、とね、そういう感じなんですけど。
あと、今回の市川では、ボボのドラムがなんだか違って来てる風に聴こえたのが新鮮ポイントとして印象深かった、ボボがくるりのサポートやるようになってからそれなりにライブ観てると思うけど、今回「Birthday」で感じたテンポが走るぎりぎりんところまで上がって来る感触は初めてだった気がするので。「ベベブ」とか疾走しててたまんなかったあ、ベースとのハネハネな絡みとか、胸がざわーってなってぞくぞくしました。わたしは元々、好みとしてはボボよりもっとビートが粘る、後ろノリ気味に刻むドラマーに惹かれがちなんですが(あらきさんがサポートやってるときのくるりのライブ音源聴くと未だにキャーってなるもんね、好きすぎて!)、ボボのジャストなビートの印象が揺らいできているのがびっくりで、しみじみと、バンドって生き物だなあ、ツアーやると何があるかわかんないなあ、って思いました。くるりって2人しかいないから、バンドと思っていいのか微妙な部分もあるんだけど、でも、ライブやってる瞬間においては、サポートも合わせて「バンド」なんだなあ、って感じたのがなんとも新鮮な感触でした。
そう、それで言うと、これまではなんとなく、佐藤くんはボボとはジャストのビートで淡々と合わせてる印象で聴いてたんだけども、今回2階から観たら、佐藤くんがうんと下がった位置に立って演奏してることに気付いて、ほお、そんなにドラム向いて弾いてたのかー、とちょっと驚いたんですよね。マイクが立ってる位置はセンターマイクの横並びなんだけど、そっから2歩くらい下がって、ベードラとベースアンプの間らへんで、60度くらい身体をドラムセットのほうに開いた角度で弾いてることが多くて。意外とがっぷり合わせてるんだなあ、って思って、あれだけ密に合わせツアーやればそりゃあ変わるよなあ、って改めて納得したというか。中野で佐藤くんのベースがすごいことになっている! って思ったのも、そういう変化の中でだったのだなあ、と今更ながらに思った次第です。
でも反面で、そんなに下がって弾いてるのに、すぐにマイクまで戻ってはまた下がり、と繰り返しているのを観て、なんか佐藤くんのコーラスが曲の 3/4 くらいのパートでヴォーカルに被さってる曲が多いな! と改めて気付いたりもした…コーラスって普通もっと、華やかにしたい部分にだけ入れるものなんでは?と思うんだけど、くるりの場合、それは女声入れてる曲(今回のライブでは世武さんが再現してたような)の声の重ね方なんですよね。女性の声はユニゾンで彩りみたいな使い方をするのに、佐藤くんが歌ってるラインはヴォーカルの響きを増すための倍音みたいな、エフェクターみたいな重ね方をしてるっていうのが面白い。女性の声並みに高い音域でコーラスしてるとゆーのにね! こういうの、自分のツボるポイントがまた1個見えたような気がしてにやーってなってしまったことです。
他にも、「リバー」よかったなあ、あんなによかったのに、歌い終わった岸田と他のメンバーが入れ替わって始まった「京都の大学生」、今の岸田の異様に前髪が短い謎の短髪で別珍の上着着てたのアホの子みたいでひどかったなあ、とか。でも2階から観たらミラーボールがものすごい光ってて、美しくて笑けたなあ、とか。「つらいことばかり」聴けるの今回が最後なのかと思うと寂しいなあ、とか。「ナイトライダー」嬉しかった、♪飛び出せ♪んところの拍を喰うのが意外とあっさりアレンジされてておおってなったなあ、とか。「東京」はトリビュートで世武さんがカヴァーしてたとは言え、やっぱり佐藤くんのコーラスのほうが印象強くて笑っちゃうなあ、とか。「Birthday」のアウトロんとこ、ベースとギターの拍の絡みがものすごくて格好よかったなあ、とか。「ワンダーフォーゲル」のピアノのピコピコがすごかったって書いてる人たくさん見かけたけど、堀江だって弾いてたのになんで世武さんだとあんなに言われるのかなあ、あの頃ギター2本入ってたのに今1本だから鍵盤が目立つのかなあ、とか。アンコール前の最後「宿はなし」で締めるなんて音博みたいだったよなあ、とか。「青い空」のサビがちょうど嗄れてるところにかかってて、終始クレバーな感じで歌ってた岸田が一瞬だけ苛立ったみたいに絶叫したとこ、すごいエロくてすごいよかったなあ、とか。「かごの中のジョニー」のあのアレンジも世武さんありきだとしたら、あのすごい気持ち悪い和音でカットアウトする勇気に触れるのも今回が最後だったのかなあ、あそこおっかないけど好きだったなあ、とか。思うことはいろいろありましたが、大変楽しめたライブでした。みやこ音楽祭も GAP のイベントもチケット持ってたのに行けずじまいだったから、市川行けてよかったです。楽しかったな!
ちなみに、CDJ は多分行けると思うんだけど、こんだけ世武さんとの別れを惜しんでおいて、幕張のステージに世武さんいたら…ど、どうしよう!(ありえます)(楽しみじゃないか)