オオチャカに行って来た

そんな訳で、大阪出張と兼ねる感じで、大人計画本公演「まとまったお金の唄」の大阪公演を観て来た。今回の大阪の旅程の感想を一言で言うなら「暑かった!」に尽きる。…や、多分丁度暑い日が続いてたんだと思うけど、朝、新幹線で熟睡してたら、京都の手前くらいで汗ばんで目覚めてしまった。関西恐るべし。つか、細長い日本恐るべし。
公演の感想については、東京公演の時点でも書いてなくって。何故かというと、松尾ちゃんの作品について語ることは本当に難しくて、何を書いても気持ちがするすると抜けてゆくような感じがあって、上手く書ける気がしないから。堤カントクが、今回の公演を観た日のブログにこんなことを書いてらした。

松尾さんのお芝居のことを何か文字にするというだけで
無理なカンジだ
あらゆる角度で批評(私の場合感想)を受け付けない
二時間強、目の前で繰り広げられる“現実”はある種の「生き物」だ
私も時代的に共感する設定も
笑いの全方位な攻撃も
宝石をちりばめたような台詞も
その生き物のほんの一部だ
その生き物の全体を捉えられないもどかしさと
その生き物の目の前にいる幸福が
ぐちゃぐちゃになって
自分が客席で小さくなっていくのがわかる

こうやって、「どうして書けないか」を書くことすら本当に難しくて、だから堤カントクはやっぱりすごいと思う。
わたしにとって「松尾作品を語ること」というのは、大げさ承知で言うなら品格を問われるようなことだ。分かった振りをしたくなるところからどうやって逃げたらいいのかとか、単純に「面白かった」「誰々がどうだった」で済ませることができないくらいに複雑な気持ちをどう落とし前つけたらいいのかとか、すごくすごく難しい。
でも、その難しさと一緒に、すごく嬉しかったり、切なかったりする気持ちがちゃんと胸には残ったりもして、こんな風に、複雑なのに甘い気持ちをくれる人というのはそうそういないのは紛れもない事実で。だから、わたしは10年以上も松尾ちゃんの舞台を観続けているんだとか、そんな風にも思うんだけど、長く観てるからと知ったような顔なんてできるもんじゃないし。
なので、ここにはこの舞台の「楽しかった」以外の感想を書くのはやっぱり止めておこうと思う。いつか、書ける自分になれる日が来るといいなあ、みたいな、あすなろの精神を持って止めておこうと思うのだ(って何だそれ。
ただ、わたしはこの舞台が本当に好きで、観られてすごく幸せだった。それだけは胸を張って書けることであります。
松尾ちゃんありがとう。どうかこれからも、死ぬまで、こういう面倒な気持ちの面倒を見てください。つか長生きしてね…?(切実