東京タワー

初めて観た。ずるいのは、倍賞美津子のみっともなさがリアルだということだ。「みっともない」=悪、ってことじゃないので、価値観違う人もできれば噛みつかないでほしいと思うんだけど、やっぱり人は年齢を重ねればみっともなくなってゆくし、20代の子が「30代になるのが楽しみ☆」とか言ってるのを聞くと、あーあーそうですか、と鼻をほじるような気持ちになったりもする。標準的な容姿の女子が、30代半ばでみっともなる度合いを甘くみてんじゃねえぞ、みたいな。
みっともなくなってもその劣化分を補える脳内世界を持ってる人じゃないと、女子が経年劣化を楽しみに変えるのは難しくって、でも、その脳内世界の充実ってのは、いわゆる「モテない系」だなんだというところにも通じたりもして。自己満足的なインナーワールドの充実は、傍から見れば依然変わらず「みっともない」の増幅だったりもする。一人で満ち足りてる女は、傍目には「みっともない」ことが多いということです。繰り返すけども、「みっともない」=悪、ってことじゃなくてさ。
明るくて前向き、という美点を持つ母親が、一歩退いて見た時には、ものすごく小さくて、腰が曲がっていて、頭とかぼさぼさで、やせぎすで変な皺とか出ていて、ちぐはぐな服を着て、似合わない口紅を塗ったりしていて、要するに「みっともない」存在であるということ。子供の頃の、母親がいれば何もいらなかった頃の気持ち、母親が絶対で、全幅の信頼を置いていた頃の気持ちを思い出すと、自分の母親が「みっともない」ということはホントにつらいことで、このつらさがあることで、このドラマにおいては、他のダメさ(主演の演技の弱さとか)全部がチャラになって、すごい地点で成立している感じがした。ここまで、母親のみっともなさをまともに描いちゃった月9ってあるだろうかな。相当ギリギリだと思うなあ。
1回、仕事をしながら観ただけなので、脚色と演出、役者、どの部分の力によるものなのか分からない。でも同じ原作から、単発ドラマ、連続ドラマ、映画、と映像化されてゆく中、単発ドラマは観てないんだけど、映画の脚本はあいするあいする松尾スズキが担当している訳で。これは、何というか…作り手の母親観が出る物語かもしれないなあ、と思ったという次第なんだった。
松尾ちゃん、これ、結構試される感じするよ? わたしが初めて観た頃、12年前とかの頃、松尾ちゃんの作品の根底には、いつも自分が子供としての「家族」の存在が色濃く匂っていた。突き詰めれば、「親の因果」が子に報いる話ばかりだったと思う。こんなに時間が経って、松尾ちゃんの視点は明らかに「子供」ではなくなって、だけど「親」でもなく、ちょっと浮遊するような感じになっている昨今、今また、松尾ちゃんが描く「家族」の物語が観られるということなのかなあと思うと、楽しみなような怖いような、不思議な気持ちがした、っていう、そんな話なんだった。まあ、ドラマの感想書いてたはずなのに、松尾の話で終わるって言うのは何なのかね。すみません、頭があんまり動いてないのです。
しかし、作家や役者に思い入れるとなんか、観るのが怖い、みたいな感情が出て来て面倒臭えなあ。自分でも意味が分からない。まったく。