「宮藤官九郎の小部屋」書籍化
お知らせ
『宮藤官九郎の小部屋』が「本」になります!!
いつも『宮藤官九郎の小部屋』をご覧いただき、ありがとうございます。このたび、角川書店からこのコーナーを書籍化したいという申し出を受けまして、現在企画を進めています。
まじでか! あははは、暴挙だ角川書店!
見事に「身も蓋もない」「歯に衣着せない」ってな回答群…これ紙で残すのってパブリックイメージ的にオッケイなんスかね、くくく。大体、宮藤ファンなんて大抵ドMだからさあ*1、この人の身も蓋もなさにげらげら喜ぶようなマインドの人が大多数な気がしているのだが、そゆとこに馴染みのない一般女子が読んだら、また非人扱いされるのではと心配です、って心配と書いて楽しみと読む感じなんだけど。ふはは。
文春とか読んでていつも思うのだけど、この人が人前に文章を出すときは、制限文字数内で必ずひと煮立ちさせないと気が済まないんだと思う。くだらなさだったり、笑いだったり、「えー」という感じだったり…必ず何かが意図的に混ぜてある感じ。まあ、文春についてはそゆの混ぜなきゃ親ばか連載なんかやっとれんつう話かもしれないが、我が子をネタに週刊連載だなんて、かわゆいかわゆい思ってなきゃネタすら見つからないのが普通だと思うのです。なのに、アウトプットはひどい方向に加工されてるのが、芸とか含羞とか、この人においてはこの2つはニアリイコールのように思うのだけど、そんな加工が施されているところが、コラムニストとしてのこの人の面白さだなあと思うのだが。
しかしながら、この悩み相談はそこまで加工の形跡が感じられないように思う。珍しく生っぽい言葉の並びのようにも取れ、結果、タイミングによってひどくバラつきのある回答になっているようでもあり、そこが妙に面白く感じられる。要は「信念」とかじゃなくて「反応」っていう感じですかね。ルールとして自分の中に出来上がっている言葉を持ってきているのではなくて、その場で反射的に出てる言葉っていうか。そのことで、ある角度から見ればムラが浮かび上がるし、反面、妙な統一も見えて、やっぱり面白い人だよなあとつくづく思う。
や、全部読んでるのか全然自信がないので、一覧性の高い紙でその、ありそでなさそでやっぱりあるのか? な一貫性を読めるのが非常に楽しみです。ええ。
…あ、ちなみにブログを乗り換えるとき、しっくり来る「悪態」なタイトル*2を模索して、このコーナーのタイトルからパクったこと、己ですっかり忘れていたのだった。だから今日急にこのタイトルがアンテナにどかどか上がっていてとてもびっくりしたんでした。やあ、恥ずかしいね。