矢野顕子「さとがえるコンサート 2007 - yanokami ジョイント公演」/NHK ホール

きのう観てきた。
今年のさとがえる@東京は1日だけ。師走の土曜、18時開演、3階まで満員の大人率の高い客席。皆うきうき、そわそわして、ステージ上をわくわく眺めて開演を待っている感じ。わたしの気持ちは、あの空気に触れると「師走」を強烈に感じるようになっているらしい。さとがえるだなあ、12月だなあ、って強く思う。今年もやっぱり、そういう気持ちになった。
最初は yanokami パートで「気球に乗って」の英語詞版である「sayonara」からスタート、そのほかにも3月に出る英語版のアルバムのアレンジを何曲かと新曲、おなじみのカヴァーも。冒頭は英語詞っていうのも相まって、ヴォーカルが若干拡散して聴こえた。つまりちょっと聴きづらかった。アッコちゃんは殆ど弾かずに歌っているだけということもあってハラカミさんの独壇場、でもハラカミさんの音は冴えまくる感じ。途中で噛み合わない、殺伐とした2人のトークを挟みながら、新曲でアッコちゃんのピアノソロが爆発して、場の空気が締まった感じがあった。
曲によって、ふんわり、ゆるゆると気持ちよいところを適度に刺激されているような感じになって、眠くなってしまうのが yanokami のよさだなあ、と思う。芝居で寝るのはつまらない場合だけだけど、ライブで寝るのはつまらないからだけじゃない。気持ちよくて眠くなることもある。そういう、空気に音の粒がいっぱいになって、気持ちのよい弾力でぶつかってきて、とろとろっとほぐれてゆく感じ。今回も非常に心地よかった。
中でもよかったのは、ついこないだ放送で聴き返していた yanokami 版「ばらの花」。yanokami にとっての運命の曲ですね。これ、元々は岸田くんがヴォーカルのくるりのオリジナルトラックをハラカミさんがリミックスしてる訳なんだけど、こないだの WOWOW「音の系譜」の岸田入りヴァージョン("yanokami-da" というとかいわないとか)よりもなんか、アッコちゃんだけのヴォーカルのほうがハマる感じが面白い。ハラカミさんの浮遊と疾走が目まぐるしく入れ替わるようなトラックには、アッコちゃんみたいな自在なヴォーカルのほうが合うのかもしれないなあ、と思った。勿論、岸田くんのヴォーカルには別のよさがある、という前提ですけどね。
締めの「恋は桃色」(細野晴臣のカヴァー)はじんわり、いい「うた」を響かせ、余韻を残して前半終了、20分の休憩を挟んで後半、矢野顕子ソロパート。「横顔」(大貫妙子)、「春風」(くるり)、「Alternative Plan」(エルレガーデン)、「ニットキャップマン」(ムーンライダーズ)、「すばらしい日々」(ユニコーン)とカヴァー三昧。「いもむしごろごろ」は去年の上原ひろみちゃんと競演したときのアレンジだったかな? オリジナルは「Watching you」と「PRAYER」。アンコールでは「ひとつだけ」で締め。
いずれも、うたがものがたるものを存分に伝える情感が炸裂していて、なんだろうなあ、やっぱり yanokami とは全っ然別のものですねええええ。カヴァーであれだけの情景を浮かばせるのって本当にすごい。いや、カヴァーかどうかとか、アッコちゃんにとっては全然関係ないんだろうけどさ。「PRAYER」は、クラムボンの「LOVER ALBUM」でのカヴァーも非常に秀逸で、わたしはこのアルバムが大好きなので、最近は原田郁子ちゃんのうたってるヴァージョンばかりを聴いていたのだけど、アッコちゃんで聴いたら相当に別物で、郁子ちゃんのとは違う角度でしみじみ沁みた。
「春風」でも思ったけど、若いバンドのヴォーカリストの人たちは、メロディに歌詞を乗せて歌っている傾向が強いけど、アッコちゃんはことばにメロディが寄り添っている感じがする。バンドの人たちのメロディのほうが丁寧だし、メロディがメロディとして存在しているのだけど、その分、聴いてると言葉がさらさら流れていってしまうこともある。それが、アッコちゃんがうたうと、ことばの抑揚にメロディがついてくるというか、とにかく、「ことば」がぼーん、と最前に飛び出してこちらに届いてしまう感じになる。結果、メロディが原型を留めない瞬間もあるのだけれども、でも、そのうたの本質においてはまったく崩さず、っていうか、場合によっては原曲よりも奥行きが増した形で聴き手にうたの世界が届いてしまう。でも、クラムボンにせよ、くるりにせよ、こういう「うたの力」に対して意識の高い方向に進化を続けてるバンドだと思うので、そのへんが同じ目的地を目指している人たち、みたいな感じですごくいいなあ、と思うのだった。
「PRAYER」という曲を初めて聴いてから何年になるのか分からない。でもゆうべ、あの歌詞の意味がすごくまっすぐ頭に入ってくる感じで、ああそうか、っていう変な感触があって、多分こうやって、「ああそうか」って思えるようになるのが年齢を重ねることの意味なんだろうし、「ああそうか」って思わせてくれる力を持つようなうたが、この先の長い人生において自分に必要なうたなんだろう、って思った。それはとても、とても豊かなことだなあと思うし、そうやって自分の人生の意味を支えてくれるようなうたを、わたしはこの先、選んで聴いていきたいと思う。先週のくるりの横浜公演に続いてそういう気持ちになった。このシンクロニシティは、わたしにとっては大きい気がするな、なんか。
アンコールで彼女が出てきたとき、2階か3階かから、「結婚記念日」「Super Folk Song をやってください」「お願いします」みたいな女性の絶叫が聴こえて、どうやら自分の結婚記念日を理由にリクエストを叫んでいたらしいんだけど、アッコちゃんはにっこりと笑って、「スィーディー(って発音するのだ)をお聴きください」と一言でばっさり切り捨てていた。その後、ピアノをぽろぽろ触りながら「…結婚記念日、おめでとうございます」と思い出したようにぽつぽつ言い添えていたんだけども。確かにアッコちゃんのコンサートはいつも事前にセットリストが決まってない、という話なんだけどさ、でもリクエスト受けるためじゃないしね、それって。彼女自身の「演りたい曲」を演るための自由度なんであって、そういうのを勘違いする感覚ってすごいなあ、と度肝を抜かれていたから、ぴしゃっと退けてくれて、すごくほっとした。
ラスト、アッコちゃんはピアノを緩く鳴らしながら、「来年ここでまたコンサートができるというのは何のギャランティもないことだけれども、でも、やっぱり、来年もまた、皆さん、この NHK ホールでお会いしましょう」と鈴を転がすみたいな声で甘く囁いた後、抑制の効いた、優しい内緒話みたいなトーンの「ひとつだけ」でアンコールを締めくくっていた。わたしにだけうたってくれたものではないけれど、あの場にいたすべての人に等しく届く素晴らしいうただったと思う。それじゃ我慢ができないなんて、ファンとして欲張りすぎ。記念日にはスィーディーをかけたらいいじゃない。そのためのスィーディーで、さとがえるは、「今」この瞬間のアッコちゃんの選んだ音を聴くための場じゃない。そんなことを思いながら、鼻をぐずぐずさせつつ、今年のわたしのさとがえるが終了した。
ところで関係ないんだけど、終演後、ロビーでくるりと堀江くんがエルレの3人と話しているのを見かけた。や、ホントは休憩のタイミングで煙草を吸いに席を立った瞬間のくるりの2人を見つけて「あ」とか言っていたんだけど。休憩中、岸田くんがしきりに、ステージのほうを指差しながら佐藤くんに何かを喋っているのが見えて、あのステージに立ったことがある人が、ピアノ一台を伴ってステージの中央に1人で佇むアッコちゃんを観たとき、どういう気持ちになるんだろうな、と想像してみたけど、当たり前だけど、まったく想像がつかなかった。数日前、横浜であんなコンサートをしでかした2人が、あったかそうな服を着て、パンツにバックステージパスを付けて、人込みの廊下を普通に歩いているのを見たら、彼らも、アッコちゃんの「春風」を客席で聴いて、わあ、とか思っていたのかなあ、と不思議な気持ちになった。いろいろすごいな。この時代に生まれてよかった。ホント思った。
さ、じゃあまた来年も NHK ホールで。それまでに色んなことをして、色んな気持ちを味わって、一年分で身に着けたことを抱えて、またあの場所に行って、アッコちゃんのうたに泣かされたいと思います。来年のあの会場の座席を目指して、また一年がんばろう。うん。