近況

みなこしさん*1の先日のエントリを拝見して、わーと思ったのでわたしもわたしもー。
結婚したらネットにあまり関心がゆかなくなりまして。今までネットで何見てたんだろう…と思ってもうまく思い出せない。実際的な調べ物のときくらいしか、家で PC 立ち上げなくなりました。
というか、いわゆる「趣味」の部分がどんどん淡白になっている気がする。物欲を失ってないのは本とか漫画くらいかなー。テレビも、今欠かさず観てるのは毎朝の「やじうまテレビ」と木曜の「ラスト・フレンズ」だけで、観られるときは「おせん」や深夜のお笑い番組も、という程度。お洋服も、買ってもあんまり着ない気がする…と一度ざわついた食指をあっさり引っ込めたりしています。CD は半年以上買っていないし、映画ももう随分長いこと観てないなあ。
なんか、引越しに際してモノを大量に処分したために少々虚無的になっているのかもしれん。以前の引越し時もこういうモードになっていたことがあったけど、気付いたときにはまた物欲大臣に戻っていた気がするので、今回もすぐ戻る気はしますが。いずれにしても、紙モノだけは別モノな自分の気持ちのありようがちょっと面白いなあと思ったりした。「おはなし」がすきなんだと思います、やっぱり。なので、ネットで見たい情報も、はてなに書きたいことも特になく、淡々とネットレスな生活が続いているのでした。
その他、心境の変化としては、地震火事災害犯罪、世の中にあるこわいことがとにかく全部こわくてたまらない心理状態が時々。中でも中国四川の大地震*2と東京江東区の OL 行方不明事件は、報道を見てるだけでいろいろリアルに想像してしまって、ものすごくものすごくこわくなる。これ、結婚しましたよエントリを一度書いてアップして、翌朝間違えて消してしまった、その消えたエントリでも書いたんですが、最近わたしはひどくこわがりで、世の中のこわいことが自分と夫に降りかかったらどうしよう、とまったく論理的ではないこわさに振り回されています。殊にここ3、4日がひどくて自分でもびっくりしているよ。
この先、ものすごく幼稚な話なので畳みます。
最近感じるふあん。

  • 夫と離れているときに大地震があって、どちらか片方が即死したらどうしよう、と、夫が家にいるときにひとりで入浴をするのがこわい
  • ひとりで家にいるとき、こわい人が何かの間違いで玄関から入ってきたらと考えると、目をつぶって髪を洗ったりできず、目を開け、ドアの曇りガラスごしに洗面所のほうを凝視しながらでないと入浴できない、また、途中で地震があったら、とも思い、ゆっくり入浴することができない
  • 江東区の事件のように背後から建物や部屋に押し入ってくる悪い人がいたら、と、帰宅時に過剰に後ろを振り返ってしまう
  • 同様に、夫が帰宅するとき、玄関ドアを開けるときにスコープで夫の背後を必ず凝視したまま開ける、オートロックの建物なのに
  • 夫が普段の帰宅時間になっても連絡もなく帰宅してこないと、大阪京都で人を刺して金を奪った関東に逃亡中だった凶悪犯(今日無事埼玉で逮捕されたそうな)や、未知の通り魔に刺されたりしていないか、など、たくさん悪い想像をして勝手にこわくなる
  • 同じ建物の他の住人が死体を刻んで流したりしていないかと想像してしまってから、水周りがなんとなくこわい
  • 舞鶴の女子高生殺人事件のように、夜中に外で話し声や物音がすると、恐ろしい犯罪が家の外で発生しようとしているのではとおっかなくなる

わたしは変なタイプのこわがりで、子供の頃に「耳なし芳一」に熱をあげて、よくできた話だと感動したのか何なのか、自分で周囲の友達を集めて情感たっぷりに語り聞かせたりしていたことがあったのですが、ある日急に、平家の亡霊が自分のところに来て耳を奪われるのでは、と想像してしまい、ひとりで夜、トイレに行けなくなったことがありました。同じように、学級文庫で「はだしのゲン」を読んだときも、読んでる間はちょう熱中して読みふけっていたのに、しばらくすると小学校の校庭で上空に飛行機が飛んでいるのを見つけると「ダメだ、原爆を落としに来たのかも」と想像して足がすくむようになってしまったり。どっちも、途中までは物語に夢中になってんのですよ? それが、何かのはずみにスイッチが入ると、いてもたってもいられないくらいにこわくなってしまう、という感じ。「おはなし」に取り込まれやすいんだろうか…。
地震もこわいです。元々そういう資質はあって、新居を選ぶときも9階建ての最上階のちょい古め物件と迷って今の住まい(5階建ての4階・小さいマンションでまあまあ新しい)にしたのは、高層階だと地震があったときにこわいからだったんだけど*3、それにしたって普段は別に大丈夫なんです。でも、一度スイッチが入ると、どこにいても何をしていても、今大きい地震が発生したら…と想像しては、こわくてつらくてソワソワしてばかりになってしまう。即死の恐怖、倒壊・生き埋めの恐怖、ライフラインが復旧するまでのパニック状態の恐怖、生き別れの恐怖…と、ひとりで(特に狭いところに)いるときは外から入ってくる情報が特に何もない分、脳みそがフル回転して勝手にこういう想像を次々と繰り広げて、わたしはいても立ってもいられなくなってしまうのでした。今は入浴中が殊につらいよ。
でも、ひとりのときに殊更こわくなるのはきっと、何かこわい目に遭って不意に命を落とすのだとしても、同じような思いをする人が近くにいればこわさが減る、っていうことなんだろうなーと思う。割と、人ごみにいると大丈夫なんですよね。知り合いじゃなくても、誰かがいればそんなにこわいことを考えないで済む。夫といるときはより安心。何かあっても一緒に死ねるならいいと思っているのかも。ひとりで死ぬのがこわいのか、夫とどっちかが生き残ってしまうのがこわいのか…。けど、この理屈はまったく意味がわからないと自分でも思っているし、くだらないとも思っている。なのに振り回されてしまうので、自分でもどうしたものか、持て余しているのでした。
つか、そもそも「こわい」と感じていることだって、自分でもよく意味がわからない状態になってるんですよな…途中で気付いたのだけど、部屋のドアをロックした状態でお風呂に入っていて、万が一夫以外の人が脱衣所に立っていたら、それは泥棒や暴漢じゃなくて、超常系のこわいものだと思うのよね。それも含めてびくびくしてるというのは、ねえ…いい年齢して…! きっと、夫が持って引っ越して来ていた、人間のものすごい悪意を「超能力」という道具を使って描いている「NANASE 全4巻完結セット (ヤングマガジンコミックス) [マーケットプレイスコミックセット]」を読んだ影響がでかいんだと思う…うう、子供の頃と変わってないじゃん…!
でも、影響、ってことで言えば、上に挙げた「こわい」の全部が、実際に起こった事件や出来事を報道経由で知って、何かのはずみにそれを想起してこわがってるってことなんですよね。じゃあ、「こわい」のネタになる報道は見なきゃいいじゃん、ということなのかもしれないんだけど、やっぱり最近の凶悪事件は不可解なところが多すぎて、どうしてそんなことに? とか、そういうのが解明されてゆく過程が報道されているとどーーーーしても自ら摂取しちゃうのです。知らないと、別の種類の「こわい」が発生しちゃう気がする。それとも単に物見高いのか。自分でもよくわかんないんだけども。
これらの「こわい」、わたしはもともとたくさん持ってるほうだったんだと思う。特急列車の中で女性を刃物で脅してトイレで暴行した男の事件(最近公判を迎えて求刑懲役18年だとか)や光市母子害事件の差し戻し控訴審の報道でも、テレビや週刊誌で見た事件の詳細に、もやもやと気がふさいでしまったことは何度もあった。でも、ここ数日はちょっと異常だと思う。風呂に入れないってさ…どうしたものか?
ひどくいやな後味を残す凶悪事件やつらい災害の報道が立て込んでいて、ニュースを見る度に新しい情報がどんどんどんどん出てくる状態が続いているのは事実なんだけど、多分それだけじゃなくて、情報を受け取るわたしのほうのコンディションも普段と違っているような気がする。引越しして結婚して環境が変わってバタバタしていた中で、大きな変化はそろそろひと区切りついた感じがあって、見えてきたこれからの「日常」のペースに完全に適応するため、いろいろと軋轢が生じてる状態なのかな、と思うのです。
よく、5月病(最近は新社会人の6月病っていうのもあるんだて)の発生条件として「目標達成後の燃え尽き」とか「新しい環境への順応がうまくゆかない」とか言うもんね。結婚と引越しが目標で、それまでは、と我慢してたこととかもそれなりにいろいろあったから、到達して一息ついたら気が抜けてしまったのかもしれん。調べてみたら、強迫神経症の一種で「地震恐怖症」っていうのもあるらしいんだけど、強迫神経症だって適応の問題な訳だしねえ。新しい立場と環境、生活に慣れるために脳みそとか気持ちとかが納まりのいい配置をいろいろ試してる最中で、今この瞬間はちょっとゴツゴツしてる状態なのかなーと思った。
少しずつ慣れて、少しずつ「こわい」って気持ちより、普段の楽しさとか心地よさとかのほうが勝っていけばよいな、と思ってます。不安の一番のオオモトは、絶対に失くしたくないもの、失くすことを考えるとこわくてたまらないものができたから、だと思うので、失う予兆もないのに怯えて暮らすより、そういう存在が近くにいてくれることの嬉しさとかありがたさとかを楽しむほうにエネルギー使いたいと思う。
まあ、焦ってもどうにもならんので、ちょっとずつ、落ち着いてゆけたらいい。こうやって言葉で整理したりしながら、様子をゆるゆる見てゆこうと思いますよ。ええ。

*1:id:minakoshi3754

*2:関係ないけど、昔は大地震て「だいじしん」と読んでませんでしたか? 今は「おおじしん」で統一されているよね…いつからなんだろう?

*3:どっちの物件にもメリットとデメリットがあったのですが、やめたほうの部屋の「眺めがとてもいい」(新宿の高層ビル群が一望できる)(もしかしたら神宮の花火くらいは見えるかも)(無理か?)という3番目くらいのメリットが、「地震があったらこわすぎる」という2番目くらいのデメリットと裏表だったのでした。でも本気の大地震があったら今の4階だってこわいっちゃこわいよね。わかってるんだけども。