ハルチン (2)/魚喃キリコ

ハルチン 2

ハルチン 2

連載がどういう状況でアレしてたのか、そもそも終わってるのかどうかも知らなかったので、2巻が出て本当にびっくりした。1巻も再発してるし!
にしても、表紙はなんでこんな無頓着な、どぎつい感じなのかね? 1巻の淡い色調が大好きだったのでほんとうにおののいた。キューコミで連載してた作品が FEEL YOUNG に移って、結果的に宝島社で出てたコミックスの続きが祥伝社から出て、宝島社から出てた分も祥伝社で出しなおす…というのはすごくよくあるパターン*1ですが、「ハルチン」は掲載誌 hanako でしょ? マガジンハウスからも権利引き上げたりするのか、と少々びっくりした。やるなあ、祥伝社。というかもしかして、90年代のイメージでマガハを実態より上に見すぎているのかな、わたしが…(もやもや。
独身でフリーターでお金の使い方が間違っていて、お調子者で形から入りやすく、ビールがなきゃ生きていけないハルチンと、そんなハルチンを心配して世話を焼いてあげている(けど時々抜けてる)しっかりもの親友(?)チーチャン。1巻が出た頃(今調べたら誇張抜きで10年前!)、わたしはまだ20代半ばで、独身で派遣であっちこっちの会社で仕事していて、ハルチンに無邪気にシンパシー抱いたりしてたけど、今読むともーなんか、ものすごく胃が痛くなる感じ。要するに、ハルチンの考えなさにいちいちどきどきするんでした…! しみじみと、自分が「若い女の子」の感覚じゃなくなって、どっちかっていうと「お母さん」側の感覚になっていることを実感してしまったなあ、ハルチンのやってることにアレコレお小言並べたくなって…もっともっと牧歌的に楽しめる漫画だったはずだったのに! ギャー!
ハルチンて作者の魚喃さんを投影してると思われるポイントがいっぱいあるけど、わたしは魚喃キリコと同じ年なので、余計にそのソワソワした感じが強いのかも。初出見たら、一度中断して再開して、3年くらい前まで連載していたようですね。3年前…はわたしもまだまだテキトウに暮らしてたか…そう思うと、今になって勝手におかん視点にいっちゃうのもなんか違うかもしれん、と冷静になったりもしつつ、でもやっぱり、読んでてちょうイラっとなるところがあるのは否定できないのだった。うう。
ハルチンは気楽で陽気で頓着しなくていいね、こんな風に生きてゆきたいよね、というのがこの漫画のウリなのだとしたら、残念ながら、気楽でばっかりはいられなくなっている今のわたしは、もうこの漫画の対象読者から外れていると思われる。気楽じゃない、というとなんだか不自由な感じもするけど、「自分の人生は自分のすきなよーに生きて構わない」っていう自由≒身勝手さより、今のわたしは、他人と一緒に1つ1つ小さなことを積み上げて、毎日の暮らしをつくっている過程のほうが全然楽しく感じるのだから仕方がない。
勿論、エゴがなくなった訳じゃないし、アイスが食べたくてじたじたしたり、寝る前のコーヒーが止められなかったり、そういうところは結婚したって何にも変われていなくて、ハルチンのやきとりとビール、と同じレベルのようにも思う。でも、少なくともわたしは、お金や時間を 100% 自分の思うがままに使う、ということには殆ど執着心がなくなった。そこまでして「自分」「自分」て主張するほど、大層な「自分」ではないのかな、とかね、そういう感じで。
ひとりでだらしなく過ごすのはそれはそれで楽しいけど、誰かと一緒にごはんを食べたり、家族がどうしているかを気にかけたり、そういうのもなかなか楽しいもんです。それを知った今となっては、ハルチンの気ままなくらしだけが楽しい生活な訳じゃないもんなーっていう風な読み方をするようになってしまったようで。人って変わるもんなんだね…! と変に実感してしまった、ハルチンで。もっと何年も家庭生活を味わった後だとまた違って読めるのかもしれないので、それはそれで楽しみ。

*1:わたしが手元に持っているものでもいくつかあるよ、南Q太とか西村しのぶとか。