毎日かあさん(5) 黒潮家族編/西原理恵子

4巻に収録されていた、鴨ちゃんが亡くなる前後のくだりを描いた作品が本当にすごくて、吐き気がするくらい泣かされたんだけど、5巻では大丈夫だろう、と思って手に取った…のにやっぱりまんまと泣かされたよウワーン。

毎日かあさん 5 黒潮家族編

毎日かあさん 5 黒潮家族編

鴨ちゃんのことを描いた、6P だったかな、短い話が入っているんです。それでもう決壊。そもそも、このサブタイトルの「黒潮家族」っていうのがね…鴨ちゃんの骨、世界のあっちこっちで少しずつ散骨してるんですってよ、この親子。いつものざっくりした描写で描かれる旅の様子(虫をおやつに食べる、よれよれの老人に施しを与えるとしゃっきしゃっきと歩き去る…等々)の全部に、必ず少しずつ、少しずつ鴨ちゃんの話が混ざっている。まとまって泣かされるのは前述の、鴨ちゃんのことを描いた話なんだけど、全編通して、奥のほうに鴨ちゃんの不在と、不在を意識するから鴨ちゃんが家族の中に存在しているということ、がずうっとずうっとうっすらと香っていて、つらい描き方じゃないから淡々と読んでいるんだけど、そこで気持ちの底に溜まってゆく寂しさみたいなものが、鴨ちゃんの話まで来てどばーっと溢れてとめられない、みたいな感じだった。
大切な人がいなくなったことは当然つらくて、でも日常は続くから、次第につらさは日常に溶けていって、いなくなった人は、いない、という形で自分たちの日常に参加している状態になって、それでもやっぱり、触れたり喋ったりはできないから寂しい…っていう、家族を亡くすっていうのはそういうことなのかもしれないなあ、と思ったら、やっぱり、できて間もない自分の「家族」を亡くすことを想像して泣けてしまって。なんだかやけに、くやしくもあり、気持ちよくもあって、サイバラにはやっぱり敵わない、と何十回目になるのか分からないけど、改めて思った。
そしてなんというか、男の子の親御さんてほんとうーーーっに大変なんですねえっ!! って思ったな! むぎ家のエピソード全部に脂汗出る感じがしたけど、子供が隠れてシュークリームを布団に持ち込んだのを忘れていて青カビが、とか、抜け駆けで夜中に食べ残しのカレーをコップによそって布団に持ち込んだのをこぼして茶色いシミが、とか、世の中の男の子のお母さんてみんなそんな思いを?! とわななきました…東村アキコの「ママはテンパリスト」を読んだときも思ったけど、男児って実におそろしい生き物なんですな…!
反面、女の子を持つ大変さはまた別の種類だよなあ、とも、つくづくと。サイバラ家の娘さんがどんどん女の子らしくなって、「女の子」の社交やそれに伴う苦労に触れ始めているのを見て、自分がこの時期の女の子のお母さんだったら…! と想像しておっかなくなっちゃった。わたしはそういう、女子の義務みたいなところから逃げて逃げて大人になったタイプなので、娘がそういう価値観の中でがんばることを選択したとして、どんなサポートを与えてあげられるというのか…考えただけでめまいがするよね…って。
まったく、お母さんてホントに大変だなあと思う。お父さんがいてもいなくても、働いてても働いてなくても、世の中のお母さんはみんな、ものすごくえらいです。頭あがんないよ。
あとね、思ったのは、ここんちの子たちがサイバラと一緒に散骨の旅を続けるのはいったい何歳くらいまでの間なんだろうか、ということで。いつか、子供たちが自分の前にある世界に夢中になって、母さんと旅行に行くのを嫌がる年齢になったとき、サイバラはひとりで旅に出るのかなあ。「ドアを開けて真っ先に夢中になるもの」の話を読んで、そんな風に想像して、またちょっと泣けてしまったよ、サイバラはそれでもぜんぜん大丈夫なんだろうに。フー。
あと、「チョコレートパフェが食べたい」という娘に「同じカロリーでうどんが何杯も食べられる」「カロリーが低いのにおいしい、うどんのほうがえらい」とおやつにうどんを食べさせているサイバラに笑いました。高知出身だからこういう発想になるのかもしんないけど、わたしも東京出身ながら、「うどんはおやつ」と言って夫に呆れらているからね!(悲鳴)