矢野顕子さとがえるコンサート 2009/NHK ホール(2009.12.13)

毎年恒例の年末行事に行ってきました。とはいえ去年はチケット取ってたのに体調不良でトバしてしまい、実質2年ぶりのさとがえる。去年と同じ編成だったというバンド編成の矢野顕子が、ホントにホントにものすごく、度肝を抜かれて、魂抜かれて帰ってきた。
「すごい」っていえば、弾き語りの矢野顕子だってすごいんです勿論。近年、年に2回くらいは矢野さん観る機会があって、弾き語りのほかにも上原ひろみちゃん、レイ・ハラカミくるりなんかと競演している姿を何度かずつ観てたし、いい加減矢野さんの「すごさ」なんてイヤってほど知ってる、だって15年くらいライブ観てるわけだし、ってわたしは思っておったのです。でも、今回のバンドでの矢野さんは、今まで観たどの矢野顕子とも全然違っていて、どの矢野顕子よりも「すごい」矢野顕子だった。その事実がね、もんのすごいことだなあ、と思った次第。
最初、バンドメンバーたちとステージに出てきた矢野さんは爆発ロングアフロのウィッグで、体積1.5倍くらいになっててもまだメンバーたちより一回り以上小さくて、ワンピースとチュニックのあいのこみたいなドレスとパンツを重ねて、センターまで来たらすそをひらりとつまんでお辞儀をしたあと、くるっと一回転して見せたりして、こっちもうふふ、かわいいなあ、なんて思ってた。各自が自分の持ち場について、最初の音が鳴るまでのちょっとの間も、わたしはまだほわわんとした気持ちでいて、1曲目の「evacuation plan」のイントロが鳴って、すぐに矢野さんの歌が始まって、その瞬間、自分の思い違いに気付いてぎょっとなった。矢野さんの歌声が、今まで聴いたことのあるどの歌声とも全然、本当に全然違っていたので。
弾き語りでの矢野さんは、よく「ささやくように」うたう、と形容されている気がする。実際、弾き語りだから、ピアノも含めて自分のリズムで、自分のテンポで自由に、その分おしゃべりするみたいに、言葉を「うたうように喋る」、ようにうたう。メロディラインよりも単語のイントネーションを大事にして、その言葉にピアノの音を寄り添わせるようにしてうたっているから、とてもパーソナルなナイショ話を聴いてるような気持ちになる。矢野さんの弾き語りを聴いたあとはいつも、「矢野顕子」本人の魅力に触れたような気持ちになって、彼女の言葉、人柄、洞察、愛情、誠意なんかに触れたような気持ちになって、そこからいろんなものをもらって、襟を正したような気持ちでほかほかして帰ることになる。それが、矢野顕子の「すごさ」なんだと、わたしはずっと思っていたんですけども。
バンドの矢野さんは、人柄がどう、なんてことは微塵も感じさせない、音だけに集中する一匹のけものみたいだった。「矢野さん個人から何かをもらって帰りたい」なんていう、わたしのような卑しい聴き手の欲を跳ね飛ばすようなバリアをばーんと張って、ただただ、信じられないような精度で音をたたき出していた。ピアノは、疾走してるのに音の粒がこわいくらい美しく揃って、ただの早弾きっていうんじゃない、ものすごい集中とものすごい鍛錬の上でしかありえないリズムを刻んで、ヴォーカルも、ベースと声しか鳴っていない瞬間にも、鳴っていない音も含めた和音の響きが聴こえるみたいだった。全部が全部、強い意志で磨き上げられたプロフェッショナルの鳴らす音で、こわいぐらい研ぎ澄まされていて、バンドも皆、その意図を完璧に支える音を鳴らしているのがはっきりと伝わってた。2曲目の「しまった」で、音数が少ない瞬間の、休符が作るグルーブをきっちり全員が共有しているすごさったらなかったし、全員が一斉に曲を終えたとき、電子楽器に負けずにピアノの生音の弦の残響があの広いステージにすっと残って消えていったのを感じた瞬間、わっと鳥肌が立って全身がかーってなった。
と、なんか全然、どこがすごかったのか言葉にできる感じがしないんですが、もはや別人のすごさだった、ってしか言いようがないすごさでした。中でも印象的だったのは「When I die」で、♪I want to be forgiven、I want to be loved♪ っておっかない歌詞のヴォーカルと和音感たるやもう…! ギャーっつって走り出したいような、じっとしてられないような気持ちになったなあ。すごい、すごい、ホントすごいもの観てる今わたし今いま今!!! って思って、端的に言って大興奮してました。それくらいに、バンドのアンサンブルと、そこでの矢野さんがすごかった。
だのに、途中でバンドメンバーが一度引っ込んだあと、矢野さんだけが残ってピアノをぽろりぽろりと鳴らして弾き語りコーナーになったときは、いつも以上に矢野さんの惜しみなさが爆発していて。少し MC(というか、「おしゃべり」って感じなんだけど)して、「こうしてちょっと休憩している訳です」なんて冗談めかしたりしていたんだけども、「でもね、毎年ここ(年末に NHK ホールでやっているさとがえるコンサートのこと)に来るために貯金してくれてる人がいるの、あたし、知ってるんだ」って小声でつぶやいたあと、ものすごく久しぶりに聴く「クリームシチュー」をやって。♪僕の傷をみるなよ、僕にあやまるなよ♪っていう歌詞に、そんなおっかない曲だったか、なんて胸をつかれていると、そのあと続けて、「きよしちゃん」をね、やったんです。今までも2回くらい弾き語りで聴いているはずなのに、バンド編成の影響なのか、すごいビートが強く感じられて、ひどく胸に染みた。訃報から半年以上経って、清志郎がいないってことに免疫がついたつもりのところに、矢野さんの歌声がさくっと刺さって、たまらない気持ちになってじゃーじゃー泣いてしまいました。
清志郎については、苗場での野辺送りも観たし、あのときもたくさん泣いたんだけども。でも、「きよしちゃん、いい曲だね」「この手をはなさない、はなしてはいけない」「おしゃれな服着て街に繰り出そう」「言葉は要らない」「Everything's gonna be alright」って、こんなうたをね、清志郎がいなくなったあともこんなにやさしい声で微笑みながら、嬉しそうに歌うことは、苗場にいた男どもの誰にもできないことだよなあ、と思ったら、その清さに泣けて泣けてしょうがなかった、ということでした。好きな人がいなくなって、悲しくない訳なんてないけど、そのときにどう振る舞うか、ってことでいったら、矢野さん以上に格好いい見送り方をした人をわたしは知らないなあって。曲の最後に、低音域をダダダラっと鳴らしながら、♪どうしたんだ♪って「雨上がりの夜空に」からの引用を盛り込んでいて、その終わりまでの5分間くらい、目から鼻から口までにハンカチを押しあてて、声が出ないように必死で葉を喰いしばりながら号泣しました。
そのあと、バンドに戻ったあとの「ウナ・セラ・ディ東京」も、「学べよ、わたし!って曲です」って言ってたひどいタイトルの新曲「まなべよ」もよかったんだけど、「変わるし」のハネハネの格好良さにわーってなってる中、改めて歌詞が耳に入って、ああ、やっぱり矢野さんはすごいなあ、ってしみじみ思った。

大切な親も猫も死んでしまうし
あたりまえだけど あきらめられないのよ

目にみえるもの みんな変わるし
涙も忘れる
欲しがるものは みんな変わるし
笑って見送る

そうだなーって、わたしなんぞが思うのは思うのはおこがましいけど、でもホントにそうだなーってね、思ったんですよね。ぴったり5分だけの号泣のおかげで、ひどい頭痛が出て、頭がガンガンいってる中で。
50代も半ばになって、夏に京都で聴いたのと全然違う声で歌えるなんてね、怖がりだったらできないことだと思う。そうやって変わること、変われること、変わることを恐れないこと、変わらずにいられないこと。それが矢野さんの強さ、すごさで、そこがわたしにとって、矢野さんが特別な理由のオオモトなんだってことを、改めて思い知った気がします、今年のさとがえるでは。
2年前にさとがえるを観たとき(→ id:oolochi:20071216:p1)はね、くるりパシフィコ横浜での弦楽入りコンサートの直後で、ハラカミさんも出てて、客席でくるりの2人を見かけたりして、すごくたくさんの感慨をもらって帰ってきた覚えがあるんですな。まだわたしは結婚する前で、この2年にたくさんのこと「変わるし」を経たけど、変わることを恐れない勇気もそれなりに学んだ2年だったと自分では思ってる。だからね、すごく、矢野さんの変化を格好良く感じて、くー、負けないぞう! みたいな気持ちになって、別に何をどうするアレでもないのに、いてもたってもいられないような、今すぐ走り出しちゃいたいような気持ちをもらいました。でもバンドの張り詰めたプロの技術のぶつかり合いに集中して聴いたせい、と、5分間だけ泣きすぎたせいで、ひどい頭痛も一緒にもらってしまい、帰りは即座に会場を出て、ざくざく原宿まで早歩きして帰った。途中、岸体育館の横の階段を上ってみたい気持ちになったけど、頭痛がなければやってたと思う。それっくらい興奮してました、37にもなってハハハ。
まあ、来年また、あの場所で、胸張ってアッコちゃんの格好良さにシビれられたらいいなあ、って、そういう風に思わせてもらえるアーティストがいることの喜びをしみじみと噛み締めつつ、今年のさとがえるも無事終了した、という話。来年出る「音楽堂」って弾き語りアルバムには「きよしちゃん」も入るそうで、今回やってたのと同じ「雨上がり」からの引用を含むアレンジだって話だし、弾き語りツアーもやるらしいし、4月の磔磔なんて行きたくて身もだえしますが、タイミングが合ったら、ってことだからね。ガツガツ、全部観たい! っていうような距離感じゃなくても、矢野さんの大事さは何も変わらないから、またあおね、来年もどこかでね、って感じです。幸せで、へとへとになる2時間でした。満腹!