高円寺円盤「文化デリックのPOP寄席」に宮沢章夫出演

宮沢さんの「富士日記2」で気付いた。今月は宮沢さんらしい。

7/14 fri 19:00-/Charge \1000

「文化デリックのPOP寄席」

TALK:文化デリック(川勝正幸下井草秀
価値観の座標軸をズラすほどのポップ・カルチャーを探し求め続ける文化デリックが、第1部では前月にシビレた映像×4、出版物×4、音楽×4を紹介。第2部では素敵なゲストと「専門分野」について語りまくる。二本立て生コラムショウ。

ラジカル・ガジベリビンバ・システムの映像も流すっていうんで極力行くつもり、フンガーっ!(鼻息荒。
わたしが今のように「舞台を観る」という習慣を身に付けた最初のきっかけは宮沢さんだった。それまで、いわゆる演劇って恥ずかしいもんだと思っていたのに、遊園地再生事業団の「知覚の庭」が面白くて面白くて、宮沢さんと一緒に舞台をやっていた人たちなら信用していいんだろうと思って、シティボーイズ*1大人計画竹中直人の会*2、ヘビナ!演術協会*3…と観るようになった。今から11年前のことだ。
だから、わたしはラジカルに間に合わなかったクチで、生でラジカルの公演は観てない。ただ、こんな風にして宮沢さん周辺の舞台を観るようになった後に、ラフォーレミュージアムでラジカルの公演の映像上映会があって、そこで映像では何本か観た。2日で…えーと、3〜4時間ずつくらい観たのかなあ? へとへとだったけどすっごい楽しくって、中でも印象的だった障害者コントを、ケラさんがほぼそのまま去年の劇団健康再結成公演「トーキョーあたり」に挿入していて、ラジカルではYOUが演じていた役を犬山イヌコさんが演じていて、わーと思ったりした。
あと、さっきから「ラフォーレミュージアム」を連呼してますが、これには訳があって、要は当時のラフォーレミュージアムというのは象徴だったということです。上に書いたヘビナ! や「空飛ぶ雲の上団五郎一座」の第1回公演がここで行われたのも、ラジカルフォロワーとして、ラジカルの思想…というと大げさだけども、ベクトルというか、テイストというか、そういうものを継承・参照するつもりがあってのことだったんじゃないのかなーと。そして、ここで行われたラジカルの最終公演を観て、舞台の世界に足を踏み入れたのが「男子はだまってなさいよ!」の細川徹さん(事務所は大人計画)で、だからおととしの「バカワールドカップ」でこの会場を使って公演を打ったとき、当パンで感慨を綴ってらしたように記憶しているよ。
…まあ、わあわあ書いてますけど、ケラさんだって松尾さんだって細川さんだって三木さんだってせいこうさんだって、この頃に宮沢さんがやったことをすごく近くで見ていて、それを受けて「自分は何をやるか」を選択している人たちだっつうことだ。今わたしが好んで観ている「舞台」の大半は、その成り立ちにおいて、このラジカル・ガジベリビンバ・システムというおかしな名前のコントユニットが影響しているものばかりなのだなあ、と、このエントリを書いていて改めて実感してもいるのだが。
そんな、源流の映像が観られる絶好の機会。しかも宮沢さんが最近やっている舞台は、以前のように「笑い」の要素に重点を置いているものではなくなっているため、宮沢さんが「笑い」について触れてくれそうな場は貴重。可能な限り、万難排して足を運びたいと思います、押忍。

*1:当時の作・演出は「時効警察」の三木聡さん。ラジカル時代の宮沢さんの演助をやってらしたということもあってか、ラジカルからの続投みたいな感じで、中村有志さんやいとうせいこうさんも毎年レギュラーのように客演してた。会場はまだJ事務所が買い取る前のグローブ座だった。

*2:当時の作・演出は岩松了さん。宮沢さんの舞台を観るようになったきっかけは当時の恋人が宮沢さんが初めてやったワークショップに通っていたからだったんだけど、岩松さんの「アイスクリームマン」を使って自然な間で台詞を言う練習とかをやったりしてたんだそうだ。読み合わせに付き合ったりしたので、あの芝居の冒頭のところの台詞の遣り取り、ものすごーく思い入れがある。

*3:中村有志ビシバシステムがやっていたコントユニット。2回くらい公演打ったと思うんだけど、両方ともラフォーレミュージアムで行われて、非常にラジカル臭が強くて素晴らしかった。「巨大芸者」とか、思い出しただけでもあまりにくだらなくて笑っちゃう。2回目を観に行ったときにシティボーイズの3人が客席にいて、ホールに入るところで「さあ、プロの仕事を見せてもらおうじゃないか!」とげらげら大声で言いながら、肩をいからしてのっし、のっし、と歩いている大竹まことさんを見て腰砕けになった(ドM。