ありがとう

虎の門」を通して観たのは2年ぶりくらいだと思う。なんだか、おととい訃報に接してから、芸人たちの空気感というか、1つの番組を作り上げるために出来る限りを尽くし合う雰囲気に触れたくてたまらなくて。なんとなく、ホントになんとなくテレビを点けていて、そうしたら2時間SPってことで、よゐこくりぃむしちゅーアンタッチャブルも出ていて、勝又さんと、今日はせいこうさんも伊集院さんもいて、しかも、AD 役で竹山本人もいて、その場の空気が懐かしくて、テレビが消せずにいた。
この空気の中で、中島が休業し始めた最初の頃、周囲の芸人たちが上手く竹山にパスを出して、ピンの「カンニング竹山」の居場所を作ってあげていたように思う。今はなんか、竹山は自分で居場所をもう持ってる感じだけど、そんでわたしはそれにあまり興味を覚えないんだけど、あの頃は、周囲の芸人がすごく、カンニングのキャラクターを守ってあげている感じがした。中でも、「虎の門」という番組は、そういう、若手芸人の立ち位置を守ってあげる文化を持っていて、エレキコミックカンニングもダブルブッキングも、この番組の「お笑いTiger's gate」で初めてネタを観て面白いなあ、と思った。この頃、生で合同ライブをいっぱい観たけど、たくさんの芸人の集まる中、短い時間で、雑多な観客の前で最大限の力を発揮できるコンビは珍しくて、バナナマンはその力が常に安定していてホントに格好よかったけど、カンニングなんかはすごく難しくて、だから、この番組の中で可愛がられているカンニングを見るのがわたしは大好きだった。
一週間テレビガイド」で NHK を担当していたカンニングは、昼時のある番組をマークして、観覧に行って映りこんだことを毎週逐次報告する竹山の横で、中島はひたむきに頷いて笑わせてた。MC 側の勝又さんもせいこうさんも、くりぃむしちゅーよゐこも、そんなカンニングを乗せて乗せて、キャラクターを引っ張り出してあげていたと思う。その頃のカンニングが、わたしの一番好きなカンニングだったんだなあ、と、今日、出演者がみんな、不自然なくらいにげらげら笑い続けていた放送が全部終わった後にいきなり流れた、「Tiger's Gate SP」というテロップの入った、2002年7月のカンニングの漫才の映像を観て、改めて思った。
4年半前の漫才の中で、竹山は「才能ないんだからお笑いなんかもう辞める」「今30歳だけども、5年後、35歳になったら中板橋で2人でスナックをやる」と毒づいていたよ。きのうの会見は観られなかったけど、35歳の竹山はこの先も、「カンニング竹山」としてピンで芸能活動を続けてゆくと言っていたんだってね。強がったり、毒を吐いたりする竹山がもう二度と見られないことは悲しいけど、出演者が皆、バラエティらしく明るく振舞う2時間が終わった最後に、一番好きだった頃のカンニングの漫才が観られて嬉しかったから、もういいや。
この先、竹山がどんだけ人のよい笑顔でグルメレポーターとかをこなしていても、わたしは2人の漫才を忘れない。咆えまくってた竹山の姿を絶対忘れない。それでいいんだと思った。
中島忠幸さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。