ゲキ×シネ『メタルマクベス』

バルト9のオープン日に観て来た。ゲキシネ初体験。いっやあアレ、えらいシステムなんだなあ。高画質すぎて、カテコの映像で若干の混乱を見た。臨場感とか追体験とかっていうのがとんでもなかったのは、お友達のおかげで実際の舞台を結構な前列で見せてもらっていて、役者の表情がそれなりにがっつり見える状態で観劇してたからなのかしら。逆にその席では引いた状態が見えなかったこともあって、実にバランスよく記憶を補完してもらった感じがあってめちゃくちゃ楽しんじゃった。
オープニング映像が格好よくて、そこに 「arranged by KANKURO KUDO」の文字が打ち出されたときに、わーーっと昂揚感が降りて来て、一気に内的なテンションが上がった。わたしは本当に…気持ちが悪い人間ですねえ。なんか、舞台を観ていたときにはメインキャスト(お松と内野くん)+派手な動きやキメ台詞がある人(ゆっきーと未來くん)に重点的に気持ちを揺さぶられていたのだけど、その人たちは映像で見てもやっぱりすごかったんだけど、こうやってちょっと距離を取る感じで通して観たら、聖子さんもじゅんさんも皆川さんもよくって、わあーんとなった。
観劇直後は「聖子さんのおっぱい!」とか腐った感想を呟いていたけど、映像で見ても美しすぎる谷間に溜息が出た。素晴らしい。あと、アレですね、武将の妻としての矜持みたいなのがとても綺麗に出ていて、殺戮のシーンながらも実にいい芝居をされていたように感じた。千枚漬は一般的な食べ物なんだろうか、伝わっているのか他人事ながら案じてしまったよ、あの丸くて薄い樽…。
じゅんさん、観劇時にはキャラクターが弱くて勿体ないなーと思ったけど、殺陣は勿論、亡霊になって出てくるあたりのふざけた芝居もすごいよかったし、全然よかったですね。やっぱり筋追うのに一杯一杯だと、色々目が届いてないところがあるのだなあ。ただ、折角の最後の殺陣が、こっちのほうでのランディのリアクションと被っていて、視覚的に集中して見られないのは演出的に勿体ないんでは、と思った。これは映像だからってことじゃなくてね。
皆川さんも、当時は「これはカヲルさんだあ」って感想しかなかったんだけど、映像で観たら、夢遊病になったランディ妻の看病をして、おかしくなって地下室にこもりきっていた旦那に代わって、彼女の秘密をひとりで支えてあげていたんだなあ、とか、そんなダメ旦那のランダムスターにとっても、最後まで忠義を尽くしたただひとりの家臣だったんだなあ、とか。アテ書き爆発度合いも再度堪能して、脚本家の歪んだ愛情にデレっとなり直したりもした。はは。
しかし、七光り三度笠を大スクリーンで観られるというのは想像以上に幸せなことですね! タップソロもうっとりと眺めたり。いやあ、未來くんの美しさったらない、顔とかだけじゃなくて、身のこなしのしなやかさが特殊すぎる。彼だけ違う生き物のようで、画面に映り込んでいる間中目が離せない。観劇時は、物語的にもキーになる二幕の「明けない夜は長い」の印象のほうが長かったんだけど、あれも実に実に美しかった。客席を獣のように駆け抜けていたよ。
…なんてことを書いていたら今、youtube に三度笠がアップしているのを見つけてしまったので貼っておこう。作品知らない人が見ても、前後が分からないとびっくりしそうだけども。

未來くんといえば、グレコとレスポJr.の再会シーンでのイチャつきは大画面で見たらものすごかった。客席から変な悲鳴が上がっていたよ、まあ、客席大半が女子だったからな…あの2人はビジュアルてきにもイチャイチャするのに向いていますよね。あまりのあざとさに、おばちゃんげらげら笑っちゃったよ。赤毛のゆっきーは久々に見てもエロかった。後半の渾身の芝居を見て、こんなのを毎日繰り返して、しかもヘタしたら1日2回とかやっちゃってる役者ってやつあ、って改めて思ったり。でもこういう気持ちを抱くのって、わたしは新感線くらいかも。身体性の高い舞台に感じるのかな、こないだの朧んときはホントにつくづくそう思ったもん。
そして、主演2人は…いやあ、なんかもう、大画面のアップに存分に堪える美貌と芝居に感服しまくったね! 舞台で観たときから、前半のバカップルシーンのばかばかしさと後半の悲しさの落差に胸を痛めておったのですが、映像で観たらなんかもう、お松の悲しさが胸に迫って、我慢できずにちょっとないてしまったよ。ナマじゃなくて映像なのに…! 気性が荒くて戦闘的で、でも夫を愛していて、夫のために烈しさを発揮するのだけども、その夫の弱さのせいで追い詰められ、行き場を失くしてくるってゆくかわいそうな、かわいそうな女。観劇時には見落としていたんだけど、彼女が狂い始めるきっかけは、ランディの「お前が最初にけしかけたんだ」みたいな一言だったんですね…もう、痛くてたまらん。大体、ランディはあまりにも身勝手な男で、妻の激しさを受け止められなかっただけでなく、そのことで内に篭って妻をひとりで置き去りにした訳ですよ。ひどいなあと思ったら泣けて仕方なかった。妻はそれでも夫を愛していて、だから行き場を失って、結果的に自分から死を選ばざるをえない。そんな妻の追い込まれ方についても、ランディはむしろ「置いてゆかれた」みたいなスタンスな訳で、男って、男ってなんで自分のことでいっぱいいっぱいなんだろういつも! みたいなムキー! 感を覚えて涙が出ました。ううう。
いずれにしても、松たか子内野聖陽という主演2人は、テレビサイズでも充分見栄えのする役者でありながら、舞台のスケール感も備わっていて、ゲキシネ企画にはもってこいだなあとしみじみ噛み締めた。後半のお松の表情なんて、んもう…! 狂ってる自分を持て余す理性が最後まで捨てられなかった賢い女の悲しさが、彼女の顔を見てるだけでめちゃくちゃ伝わってしまうというね。青山劇場で演じている中で、彼女は連日あんな顔をしていたんだなあと思うと、役者という生き物が愛しくて仕方がなくなります。見えてるかどうかで芝居を変えるっていうんじゃないんでしょう。声しか聴こえないような席に座っている観客だっている、だけど、板の上ではちゃんとその役の人物の人生を全身で生きていて、それはシアターサイズの画面にどアップが投射されても何ら綻びが見えないばかりか、あまりに切実な表情に涙まで誘ってしまう、それくらいの徹底度なんだってこと。そういうことが本当に、舞台空間の特別さというか、貴さ、みたいなものを生んでいるのだと思う。
…あ、でもこれは精神論ではなくてね、勿論、そこで毎回、気持ちをどういう風に込めているのかは役者の技術の問題だから、晩ご飯何を食べようかなーとか思いながら芝居をしているのでも全然構わないと思っていて。そこで外にあらわれるものへの責任を、自分の全身+声について、どれだけ制御する技術を駆使しているのか、という、その点について、役者の献身を感じる訳です、わたしは。そういう意味で、新感線の舞台では、役者の身体性が娯楽としての完成度に寄与する部分が特殊なくらい大きいのかもしれない。そこがスポーツにも似た独特のカタルシスを生んでいるのだろうし、ちょっとした美学を感じて面白いなあと思う。と同時に、客演でそこにすっぽりはまったお松と内野くんの能力の高さと、いのうえさんの演出の的確さに、改めてノックアウトされて、後半、お松を抱きしめたいよ…! と思いながら、めちゃめちゃ引き込まれて観てしまいました。また、そんな芝居をした後なのに、カテコでアホみたいにはしゃいでる主演2人がかわゆいことったら。ああ、なんか、DVD ほしいかもわたし。ふう。
と、こんなに熱くるしく書き綴ったのには理由があって、先日イープラスから来ていた「ゲキシネレポ」みたいなのが掲載されていたメールに、こんな文言があったからです。

そして……もしかしたら、ですが、諸事情あって「メタルマクベス」のゲキ×シネ上映は、今回が最後になってしまうかもしれません。後になって後悔しても遅いのです。まだ今なら間に合います!万障お繰り合わせの上で、ご来場くださいませ!

諸事情ってナニ? って話だけども、これは大画面で観る甲斐のある作品なのは事実なので、ホントに最後になるなら勿体なさすぎる、とは思いますが、念のため、繰り合わせられる方は是非この機会に、という感じなんだった。16日、今週金曜までです。詳細は下記公式をご確認のほど。
http://www.geki-cine.jp/news/06122803.html