愛別外猫雑記/笙野頼子

愛別外猫雑記

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10年ぶりくらいに読んだ笙野頼子。ものすごおおおく読みにくかったよ文章が! 句読点を省くのは多分「文体」ってやつなんだろうけど、主観と客観が入れ替わる境目があいまいなので、現実なのか妄想なのかが混乱する感じ。そこが狙いというか、持ち味なんだろうということも分かるのですが、それにしたって読みにくいし、読んでる間に誰が誰だか分からなくなる度合いの激しさは翻訳推理小説以上だと思った。芥川賞作家って…ふう。
話としては、えと、これは小説って扱いなんだと思うけど、30後半になって猫に出会ってしまった中年の独居独身女性作家が、近所の野良猫に避妊手術をして地域猫にしたい、と考えたことから、近隣住民たち(猫フォビアやその仲間、猫好きを自称しながらも身勝手な理屈で、平然と猫のためにならないことをしでかす女、等々)と対立して疲弊し、思いつめた挙句、千葉県に建売を求めて転居までしてしまうという、その顛末の一通りが描かれている。
でも、猫が好きだから、猫に幸せになってほしいから、っていうスタンスかっていうとそこが微妙で、どっちかというと猫と、猫を安全に暮らさせることにとり憑かれている感じ。なんか猫と対等というのでもなく、猫との暮らしに癒しや喜びを感じているというのでもなく、ただ、猫、という個性を眺めて呆れたり感心したり落ち込んだりしているだけ。冒頭でも、猫という友達をできれば助けたかっただけ、みたいに書いていて。家族とか恋人とかとは言わないのがユニークといえばユニークですが、うーん、友達を助けるために家を買うかなあ…うーん…。
途中途中に出てくる、「猫にひどいことをする人」の描写が本当に怖くて、この人が対象に怨念を持って描いていることがうんざりするほど伝わってくる。その負のエネルギーたるやものすごく、読むことでそのエネルギーにかぶれるような感じの疲れ方をした。猫ハナシって、かわいくてわくわくして癒しに満ちてて…みたいな期待は元々してなかった(笙野頼子だから)けど、なんかここまで来ると言葉を失ってしまうよ。
この人は、自分がいろんな面で世の中にうまく適合できない部分があることを知っていて、そのルサンチマンが原動力になってる部分があると思うんだけど、そこで行動するときの理屈が単一的で脆弱だ。勿論、それを芸としてわざと pretend してるんだろうけど、読んでてもやもやする度合いが半端じゃない。「猫にいいこと」「だめなこと」の区分の根拠が、周囲のこういうプロファイルの人が言っていたから、とか、本に書いてあったから、とか、そんなことばかりなので、自分の頭で選んでいる訳ではないのかな、と思う。その足場の弱さと行動に出たときの動力の大きさのバランスがちぐはぐすぎて、ハラハラせざるを得なくて、しかも他人に対する厳しさが図抜けているので、ホント、読んでてね、疲れた…。
でも、猫の描写がすごく的確で、そこは耽溺しないように自律しすぎて猫に触れない、みたいなストイックさが感じられておもしろかったです。何より、元の飼い猫が後から子猫が来ただけで吐いたりすること、1匹目が大人になってから2匹目を飼うと悲しいことになりやすいこと、仲良くやってた兄弟猫同士が引越し後に異様に仲が悪くなったりすること、等、なんか人間の軽いノイローゼの症例を読んでるみたいでおかしな気持ちになったりした。随分人間臭いのな、猫って。そのへんが楽しく読めたので、文章が読みにくかったけど我慢ができた感じ。おもしろかったけど変な本でした、予期したとおり。