soul of どんと 2008 〜どんとトリビュート soul show〜@SHIBUYA-AX(2008.01.26)

先週末行って来た。AX で着席制のイベントを見るのは2回目。どんとの曲をいろんな人が歌う、っていうのが soul of どんとの趣旨だと思っていたので、会場に入ってまず、ステージ上にアンプとマイクスタンドと椅子だけが置かれてる状況に、あれ? となる。バックバンドは? と思ったところで、そういえば、今回の出演者に kyon たちの名前がなかったことを思い出した。そうです、完全弾き語り対決だったんでした。びっくり。
結果的に、弾き語りだからこその持ち味の違いとかが際立って、すごくおもしろいイベントだった。アコギと肉声、というセット(が基本だけど何組かは例外あり)だったけど、うたの力が強い人、ギターの和音が強い人、ビートが強い人、旋律が強い人、ギター1本でバンドサウンドみたいな人…と実に色んなアプローチがあるんだなーと。選曲の妙、みたいなところは全体的にはそんなには感じなかった(ひとりを除いて)(詳しくは後述)んだけど、よくぞ皆、こんな風に思い思いに…! と半分あきれるような気持ちで感心して見てました。
それぞれの感想とまとめ的なことをメモしつつ、長いので畳む。

OP

客入れの間、ステージ背後のスクリーンに、昔のどんとが砂浜でギターを弾きながら歌う映像が流れていた。ギターは多分手製。お菓子の缶の蓋みたいなボディに、半田付けとかしたんじゃないかなーというようなネックをつけて、やったら残響の多いジャギジャギしたデッドな音で歌っていた。改めて見ると女性的な人ですね。生前も、後半はあまりちゃんと聴いたりしてなかったので、沖縄音階の曲とか初めて聴いた。貴重っちゃ貴重。

うつみようこ(ex:メスカリンドライブ/ソウルフラワーユニオン

なんかものすごく久しぶりに名前を聞いた! と思ったんだけど、ソウルフラワーユニオンは脱退してたんですな…知らなんだ。「あこがれの地へ」と村八分の曲を弾き語りで。あれこれ喋りながら、がっと足を組んで上体を傾けて、がつがつ弾いて、丹念に歌う姿がえらく男前だった。途中コードを間違えて「間違えました!」と止めてみたり。すごい自由。
「あこがれの地へ」、久しぶりに聞いたけど、いい曲だなあ、っていう、こういう再発見的な気持ちになったってことは、このイベントが成功してる、ってことなんだろう。中でもうつみさんの自由さは、どんとの歌心によくはまっててとても気持ちよかった。村八分の曲を演るときも、「どんともわたしも、西部講堂でこの曲を聴きたかった…かもしれない」なんて言ってて、同世代、青春時代を関西で過ごした仲間意識みたいなのが余計にそういう効果を生んでたのかもしらんね。

佐藤タイジ(THEATER BROOK

この人も久しぶりに…! 何を演奏してたのかあまり覚えていません。「時代を変える旅に出よう」かな、「時代を…時代を…時代を変えて俺たちはゆくんだ…!」みたいに喋りを乗せていた記憶があるので。バスドラムを足元に配置して、曲の後半になると「ダン! ダン! ダン! ダン!」と四つ打ちを入れるという趣向。しかし、まずギターのチューニングをいらいらと直しまくり、マイクスタンドの首のところの緩みを直しまくり…ちょっとナーバスになっているように見えた。
そのテンションが反映されて、すごい攻撃的な演奏。2曲目にやった曲が何だったのか、本当に記憶がないのはきっと、あまりに怒ってるから見ててドキドキしてしまったせいだと思う。ギターの鳴りが太くて強くて、カッティングがキツくて、おお、と思ったりしたんだけど、途中からはもう、ドキドキが勝って記憶が薄いです。すみません。

湯川潮音

こんだけわたし、しおねちゅあんしおねちゅあん、と言ってるのに、何と生で彼女のうたを聴くのは初めて。やあ、すっごいよかった…なんなんでしょうかあの声って。ファイルセットって普通、細くなって、音をちゃんと出すのに苦労する感じに聴こえるものだと思うのに、潮音ちゃんの裏声はもわんと膨らんで楽器の音みたいに豊かに響くのね…って書いて思ったけど、彼女の声、楽器っぽい。木管楽器かな。クラリネットとかホルンとかみたいな、尖ったところがない、丸みのある響き。
指先で爪弾くアコギの細い音と合わさって、とろんとした不思議な感触で「トンネルぬけて」「ひなたぼっこ」をうたい上げていた。どんとの曲は元々あんまり性別を前に押し出す感じに聴こえなかったのが、彼女がうたうと完全に少年のうたに聴こえたのがおもしろかった。
あと、なんかもう、佇まいが人形のようで…ベージュのふわっとしたワンピース、ロングヘアをかけた左耳のところにコサージュつけて、強烈にかわいくて身悶え。怒りまくってた佐藤タイジ氏と入れ替わりに登場して、ローディのセッティングをステージ上でひたと待ってるときの姿なんて、静謐なかんじで、野に咲く花のよう…! とハアハアした。
ほんで、自分の演奏を始める前に、「佐藤タイジさん、すばらしいえんそうでした…」なんてつぶやいて、「今日はタイジさんのお誕生日なんです」って言って、ハッピバースデートゥーユーを弾き語るも、途中でコードを間違えたりして、んもういちいち本当にかわいいのねー。んもー。
でも、かわいいけど、そのかわいさは「かわいい」を目的としてる女の子のかわいさじゃなくて、自分のしたいことを真面目に見据えている人特有の冷めた感じが生んでるもので、だからわたしには強烈にツボったんだと思う。音と佇まいに矛盾がないところもたまらんものがあった。3月の九段会館がちょうたのしみだー。わー。

浜崎貴司(ex:FLYING KIDS

わたし、これでもフライングキッズ結構見てますねん。大学時代、フライングキッズだけは見られるだけ見ていた時期があったので。今でも時々 CD で聴くけど、楽曲も演奏も水準が高くて驚かされるし、こないだのイカ天振り返り番組でも懐かしく観たしね。
そんな訳で、そんなにびっくりする必要は全然ないはずなんですが、あまりにうまいので、ちょっとぎょっとなった…というくらいうまかったです、この人。ギターはシンプルに、とにかくうたがすごい。「おめでとう」と、何やってたんだっけな…あ、「泥んこ道を二人」だ。「泥んこ道」は粘りのある歌いまわしがハマっていたし、「おめでとう」のほうは、なんつうか、歌声が凄まじかった。
他人の曲を、1回のイベント用に覚える、ってことは、歌いこんでない状態での演奏なんですよね。その点で、己のモノにしてる度合いがダントツだった。うたごころ力の違い、とか、そういうことなのかもしれん。ファイルセットの使い方とか、節回しの緩急とか、とにかくうまくて、完成した作品としてがんがん響いた。この人って多分、何をうたってもうまいんだろうなあああ。そんなうまい人だってことを、今更ながら改めて知ってしまった。驚いた。
なんで昔観てた頃はそこまでだと思わなかったんだろうな。彼が変わったのかわたしが変わったのか。うーむ。

山口洋ヒートウェイヴ

これまた懐かしい! と声に出してしまった。ほどよくこなれた感じの音だったんだけど、若い頃はもっと暑苦しい感じだったように記憶している。今は、渋いとすら言えるような味になっていて、時間の経過のようなものを感じました。
山口さん自身もそういうモードだったのかなあ。1曲どんとの曲(なんだっけ?)をやって、その後、「どんとにほめてもらったことは殆どないけど、『やっとええ曲作ったね』って言ってもらった曲が」ということで、ヒートウェイヴの曲を演奏していたのが印象的で、ちょっとしみじみした。
音的には、わたしの琴線を外れた角度で入ってくる演奏だったので、さほど感じたことはなかったんだけど、なつかしみのようなものは(さちほさんを抜けば)うつみさんと同じくらいに感じて、それが音に出ていたなあと思った。あと、やっぱりギターの音色がすごかった。肉声みたいな音でした。職人だ。

小嶋さちほ(ex:ゼルダ

どんととの間の愛息子がギターで参加。さちほさんご本人が持ってたあれはエレキハープ? 竪琴、という感じの楽器をお腹のところに抱えて、ぽろりぽろり、と爪弾きながらの「波」。照明もゆらゆら、水面みたいな感じで一気に眠くなった。
なんかこう、soul of どんとの度に感じることなんだけど、さちほさんの「どんとの魂がここに帰って来る」とか「みんながどんとに会いに来てくれた」とかって発言、正直、生理的にそんなにぴんと来ないんですよね…この曲を演奏する前にも、「どんとがこの世からいなくなった後も、この曲にフラをつけてくれる人がいて、そのフラが広まって、誰の曲かを知らずに踊ってくれる人も今ではたくさんいて」「波フラ、知ってる人がいたら今踊ってください」みたいに言っていて、そのトーンにはなんか「む?」と思わされるところがあるのだけれども。
でもやっぱり、この人の歌声のきれいさったらなく、それにどんとのうたの持ってる力がすごいのも事実で、これだけシンプルな構成で思い思いに演奏をするイベントが成立するのも、どんとの作品は「いいうたいっぱい」だからであって…なんかねえ、複雑な気持ちで楽しんだ。
彼女のスタンスにコミットできたらより感動的な楽しみ方ができるんだろうけど、やっぱり生理的にちょっとひっかかることが多いんだよなー。そんなこんなで、ちょっと困りながらも、ゆらゆら、気持ちよく聴いたので楽しかった。息子さんのギター、淡々としててよかったです。がんがん弾いたらすごく弾ける人なんじゃないだろうか。

藤井一彦The GROOVERS

さちほさんに「藤井先輩」と呼び込まれていて爆笑。白い開襟シャツの裾をジーパンにインして、短い茶髪で、なんか80年代の大学生みたいな感じでステージに現れたのだけど、音はなんかもうすごかった。ギター1本とうただけなのに、バンドみたいなんだよな…って思ったのは、バンドでの演奏でも、和音の響きとかリズムとかメロディとかうねりとか、1曲の中で前に出て聴こえるものがめまぐるしく入れ替わるものだと思うんだけど、それを1本のギターで丁寧にコピーしてるなあ、という感じだったんだよねえ。
しかも、それがボ・ガンボスやローザのアレンジではなく、架空の(比較的ルーズ目の8ビートとかを得意とする)バンドが演奏してるようなアレンジだった、っていう。もう、根っからバンドの人なんだなーという感じで、呆れるような感心を以って、ほけーと観ていたら、「魚ごっこ」の途中に「Dr.Kyon!」と叫んで客に対して90度横を向いて、キーボードのスツールくらいの高さまで腰をおとして、キーボードソロのテイでギターソロ(ハモンドオルガンの和音みたいなフレーズ)を弾いてたのなんてもう、おかしいやらすごいやらで、つくづく呆れた。呆れて感動したっス先輩…。
イベント全体の時間が巻いているから、とローディによって届けられたメモにより、潮音ちゃんと被ったからと封印するつもりだった「トンネルぬけて」を追加したんだけど、これがまたすごくってねえ。潮音ちゃんのは少年の夢想するエスケイプで、藤井さんのは青年の逃避、という感じ。哀愁というか、サウダージみたいなのが藤井さんの演奏は強く出てて、潮音ちゃんとは違うよさだった。
やあ、ロックの先輩は伊達じゃないや。すごかった。途中でうつみさんが出て来て、舞台袖から引っつかんできたみたいなマイクが入っていなかったので、肉声で「ヘヘイヘイ」ってコーラスしていたのもまた、更にすごかった。

岸田繁くるり

藤井さんが「僕の友達を紹介します」と言って呼び込んだのが岸田くんだった。潮音ちゃんの次に若いのに、言ってみればトリ、という出演順に、彼が出演することでの集客効果の大きさを知る思い。すげえな。曲の間に間に、割とよく喋ってたんだんけど、彼はどんとと直接の面識はなくて、でもどんとを知ってるって知り合いはホントにたくさんいる、みたいなことを言っていた。
どんとは大学が京都だったから、京都独特の発達を遂げた地場ミュージックシーン(よく岸田くんが語ってるやつ)の中に身を置いた時期があって、その頃どんとと関わった人が、後に岸田くんとも関わるようになったってことなんだろうな。なんか、潮音ちゃんはまあ、ミュージシャンの娘として生まれているので、普通の人よりも早くに色んなミュージシャンと関わりがあったりもしたんだろうけど、岸田くんはやっぱりちょっと、年相応とはいえない感じのところがあるよなあ、と思った。
直接の面識はなかった、って言いながら、どんとのことをすごく身近な存在として語ってるのもおもしろかったな。後日、この日うたった「夢の中」について岸田日記で語っていたけど、そこでも、友達のお兄ちゃん、みたいな感じの距離感で「どんと、いいうたありがとう」というようなことを書いてるのも印象的だった。「夢の中」が誰とも被らなかったことを自慢げに語ったり、「在中国的少年」は挑戦的なアレンジなので投げる座布団の用意を、みたいなことを言ったりしてたけど、音は至って真面目に、本当に真面目に鳴らしていたよ。
「夢の中」の「うた」を大事にした演奏と、「在中国〜」の、オリエンタリズムをルーズなブルース調に崩した入魂のカヴァーらしいカヴァー、との対比が鮮やかだった。大体、「在中国〜」は「これまでの soul of どんと史上誰も歌ってへんと思います」とか言って、この曲だけはちょっとトリッキーにやんちゃした、って感じがして笑った。らしいというかなんというか。
岸田くんはひとりだけ3曲が許されていたんだそうで、彼のうたう「橋の下」を聴くのは3回目。最初はおととしのボロフェスタでの弾き語り、次はおととしのみやこ音楽祭での soul of どんと、今回はまた弾き語り、と、なんか贅沢にいろいろ聴けている。この曲じたいの物語性みたいなのが、岸田くんの特性にすごく合っているような気がして、彼がうたうこの曲がわたしはものすごく好きだ。
岸田くんの書くうたには何系統かがあるけど、どんとのようなニュアンスを感じるものが時々ある。わたしが一番「どんと的」なものを感じるのは「続きのない夢の中」です。多分、タイトルだけのせいじゃない。

and more

前夜まで公式の「and more」表記が消えてなかったね、という話を開演前にしていたら、岸田くんが帰りがけに、「最後はお待ちかねのあの人です、お楽しみに」って言って去って行った。誰誰誰? ってなったら、ステージ背後のカーテンが開いて、スクリーンに在りし日のどんとの歌う映像が流れた。最後にどんとが1曲、みたいな趣向。当たり前だけど、どんとはもう年を取らないんだなあ…とその映像を見ていて思ってしまった。後で家に帰ってからネットで確認したら、彼がハワイで客死したのは37歳のときだったんだって。若い…わたし今年で36だよ…うわあ。
37で死んだどんとが遺したうたが、これだけ色んな人に愛されて、大事にされているっていうこと。37までにそこまでのものをつくったどんとのすごさを改めて感じもするし、うた自体の力についても再確認させられたイベントだったような気がする。さちほさんが「どんとのうたは、初めて聴くのにどこか懐かしい」みたいに言ってた(よね? 記憶あいまい)んだけど、それは本当にそうで、「見返り不美人」とか「魚ごっこ」みたいな強烈な歌詞の曲ならともかく、「夢の中」や「トンネルぬけて」みたいなある意味地味な曲であっても、一度聴けば覚えてしまうようなフレンドリーさと普遍性がある。弾き語りの形態だったことで、うた自体が持つその力を、しみじみ堪能させてもらったイベントだった。
出演者の中には、どんと本人への愛惜がうたへの思いに通じているタイプの人と、うたに対する思いの強い人が混ざっていて、でも、どっちもどんとの「うた」をとても大切にしていたと思う。どんともソウルフラワーユニオンヒートウェイヴフライングキッズも、35歳のわたしの大学時代を彷彿とさせる存在で、皆、わたしの記憶の中よりも確実に年齢を重ねた姿でステージに立っていて、でも、映像の中のどんとが年を取らない以上に、どんとのうたは古びない。
どんとがすごいのか、音楽がすごいのか、両方なのか…両方だろうけど、だとしたら15年後にも、今、ホットだとされている若手ミュージシャンたちが、こんな風に誰かの作った「うた」を歌い継ぐために集まったりすることがあるのかな、ということをちょっと考えた。
あったらいい。そうやって、いろんな人の「うた」が時間を超えていったらいいと思う。それくらいのご褒美が、つくる人たちにもあっていいと思うんだ。ほんとうにいいうたなら、時代を超えることができる、なんて、そんな美しい、夢みたいな話が現実だったら素敵じゃないですか。ねえ?
ともあれ、音楽の持つ力が、ちょっと気持ち悪いくらいに結実した、不思議で充実しておもしろいイベントでした。でもやっぱり、スピリチュアルな匂いはどうしても苦手だな、うん。