マンガ夜話「ハチミツとクローバー」

へうげもの、男組と来て昨晩はハチクロ。わたし自身が読み込んでる度合いが他2作と違うので、ものすごく楽しみにしていたよ。
というのも、岡田さん、夏目さん、いしかわさんが、あのマンガのどーいうところにツッコむのかなーと楽しみにしていたんだけど、ものすごく「褒め」に流れてしまっていてびっくりした。岡田さんなんて、「絶賛モードになる気がしたんだよー」とか言って、ちょっと悔しそうだったもん。夏目さんもいしかわさんも、口を開くと褒めとか感心とかになっちゃってて、いつもより若干寡黙だったように思う。その分、ゲストの佐藤大さんが異様に喋っていて笑った。
つーか佐藤さんは読み込み方が他の人と違う訳ですよ。ゲストはもう1人、吉井怜ちゃんも来ていたが、気持ちとかを言語化する能力が脚本家である佐藤さんとは段違いであるがために、全体の75%くらいの時間、佐藤さんが喋りっぱなしという状況が発生していて、あんなにゲストに場を持ってゆかれているのは珍しくないかい? って思った。
やっぱり、マンガ夜話のメンツって少女マンガに弱いんだよ。少女マンガの文法は知っているから批評はできるし、体系的な話もできるけど、少女マンガみたいに「感情移入」が主たる支持をもたらす方法論の作品につく読者(主に女子)の思いや視点については、あんまり実感を伴っては理解できてないんだと思う。だから、少女マンガのときにはベタな女性ファンをゲストに呼んでいるんだと思うけど、あんだけ喋れるレギュラー陣の向こうを張れる女性タレントなんて殆どいない訳で、だから今回、論理を喋れる「男性」でありながらも心情的にどっぷり作品の「ファン」である佐藤さんがいたっていうのは、なかなかに面白い構成だったと思った。
印象的だったのは、最初のほうに岡田さんだったか夏目さんだかが言い出していた、「これはモーツァルトサリエリの物語だ」っていう話題。わたしもそう感じていて、「持てる者と持たざる者の葛藤の物語」という側面を一番感受しながら読んでいた。「つくるひと」に興味を持っている人間からすると、やっぱりそういう見方になっちゃうんだよなーって思って。でも、全会一致で結論づいていたのは、「持たざる者にも人生があることを尊重し、きちんと救いを提供している物語」だという点。全員、本当に全員、一人残さず救っている、っていう話題でかなり盛り上がっていたんだけど、これは確かにそうで、なかなかそこまでするマンガはない、というところに、マンガ読みのおっちゃんたちはいたく感傷を覚えていて可愛らしかった。
全員を救う、って言うのは簡単だけど。救うだけなら、例えば上のエントリで書いた「ラスト・フレンズ」の終わり方だって、まあ一応全員を救っているラストだと思うよ、方法はうんこだけど。同じ「救いがある」ラストでも、ハチクロに「ラスト・フレンズ」の終わり方みたいな気持ち悪さがないのは、全員を救うために無理に物語を捻じ曲げたりは一切していないからなんだと思う。物語世界の中で、登場人物全員がベストを尽くして、苦しみながら自分たちの力で次に進むべき場所を見つけて、そうやって「次」へ向かってゆく、その姿が決して「作者の描きたいことのためだけに都合よく転がされている」ようには思えず、それぞれの人生を背負ったひとりのひと、という風に読めるから、だからハチクロのラストは「いい」んだと思う。
岡田さんだったかなあ、羽海野チカさんのことを、「マンガモンスター」「表現モンスター」って言っていて、確かに、羽海野さんのマンガの描き込みというか、構成力とか画力とか方法論とか、そういう技術的な部分はものすごいんだなあ、って思った。「夏目の目」で読み解いていた、構図の取り方の攻撃性がものすごかったなー。これはハチクロに限ったことではないのだけど、「夏目の目」は普段、わたしがマンガを読むときに持っていない視点なので、毎回「おお、なるほど!」ってすごく面白い。今回も、第一話の「森田さんがキックボード(手製)でアパートを飛び出してゆくシーン」の構図の取り方とページ構成の分析とか、大変面白かったです。
あと、いしかわじゅんさんが「ハチクロは『自虐の詩』だ」説を唱えていたのも面白かった。「この人生を二度と幸や不幸ではかりません」というやつですね。ハチクロのラストで、竹本くんが辿り着いた境地がリンクしている、と。人生はただそれだけで美しい、というようなことかと思ったんだけど、「秋葉原で暴れた人も、このマンガを読んでたらそんなことしなかったんじゃないか、なーんてねっ」なんつういしかわさんの言葉がたまらなかった。純情というのともちょっと違う、切ない感じで言っておってね。
そうなんです、いしかわさんはなんか今回、とても言葉少なで、喋り出したときも、「だからさ、はぐちゃんが…って、ヒトのマンガのキャラクターのことはぐ『ちゃん』なんて言ってる時点でどうかって話なんだけど」なんて恥らったりしていて、えっらい照れてる感じがすごかった。正直、ちょっと萌えた…。みんな、結論としては、「このマンガが描いている希望を読み解ける読者がちゃんといて、このマンガが売れていることは、マンガ界にとっての希望である」みたいなところに落ち着いていて、このおっちゃんたちをここまで言わせるのってホントすごいわー、って思ってぽわわん、と観てました。
あ、あとね、いしかわさんが「三月のライオン」も持参してたのに笑ってしまいまして。だって許可取ってないから(だと思う)映せないんだよ? なのに、「三月のライオン」がちゃんと少年誌仕様になっている(画面の中の黒の割合が高いこと、人物の髪がトーンじゃなくてスミベタになっていること、群像劇ではなくて主人公の明確なテーマが真ん中にどんと据えられていること、等)点を指摘していたよ。それだけ、真面目に読むべき対象としてフォローしてるんだなーって思って、ホントにやにやした。だって、いい年齢したおっちゃんたちが皆で、

ハチクロのイメージからしたら絶対猫なのに、出てくるのは犬なんだよね」
「そう犬! しかもちゃんと描けてるの」
「だって俺、触りたくてしょうがないんだもん、あの犬に」
「でも、新作ではそれが猫なんだよ!」
「ちゃんと使い分けてるんだよなあ、作品によって」
「ただ好きだから出してる、っていうんじゃないんだよ」

なんてうんうん頷いているのだもの。もー、ふんとにたまらんよ…! 羽海野さんがご自分の web 日記で、この番組を「アシスタントさんたちと一緒に観ます!」みたいに書いてらしたのだけど、こういう話とか、どうご覧になったのかなあ。全部全部に身もだえしたりしてそうだなあ。にこにこ。
おっちゃんたちが「深い内容を期待せず、軽い気持ちで読んでる読者にもほわほわとした楽しみをちゃんと提供してる」みたいに指摘しているとき、画面下にスクロールで流れる読者投稿メールで「野宮さんと付き合いたい!」みたいなのが出て来てたのも笑った。タイムリーすぎ。あと、岡田さんは抽象的な指摘を具体的なイメージに結べるように喋るのが本当にうまいなあ、と改めて感動した。「光」がはぐの才能の象徴で、その「光」の正体が何であるかまでを作中で解き明かしている、っていう指摘は、ちょっと鳥肌が立ちました。確かにそうだ、高校生のはぐが教室で神様に祈るシーン、あそこでも「光」が射していたっけ。やー、やっぱりマンガ読みのひとの「読み込み」はすげいな!
ともあれ、ホント面白かった。ただ、各キャラクターには殆ど触れられてなかった(はぐがこわい、って話と、山田はいい加減諦めろ、って話くらい)けど、このマンガの男性キャラクターたちに対するおっちゃんたちのコメントも聞いてみたかった気がしたな。殊にわたしのあいする真山については、よしながふみさんが「よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり」で熱弁をふるってらした、「ハチクロは仕事の大事さを物語っているマンガだ」というような説が今まで触れてきた「ハチクロ論」の中の最高峰なんで、そのへんをおっちゃんたちがどう感じているのかも聞いてみたかったことでした。