京都音楽博覧会 IN 梅小路公園 2009

今年も行ってきた。なんと、3年目にして雨が一度も降らないという奇跡の音博でした。
雨降らないくらいで何が奇跡か、と思われるかもしれませんが、初年度の音博は突然の豪雨で地獄絵図だったのです。ステージの奥に見える京都タワーのその向こう側から、見る見る黒い雲が近づいて来たと思っていたら、沖縄から来た大工さんの演奏中に大粒の雨がザアアア。その後、一旦止んだと思ったら、小田和正さんが登場し、MC で冗談めかして♪雨上がりの〜♪と歌った瞬間に再びザアアアアア。その後、岸田が登場して小田さんと雨男自慢をし始めたらみたびザザアアアアアアアアアアアアア。
京都駅から徒歩10分の公園でやる街フェス、という前提に気が緩み、秋服、ブーツでめかして来場したお客さんたちがボロッボロになるのを目撃し、なんつうフェスだと大笑いした、そこから音博の歴史は始まっておる訳ですよ。後日、岸田が「街中と言っても野外、準備は怠らず」みたいなことを言い、そりゃそうだし、わたしは合羽持参してたんでセーフだったからいいんだけど、それ終わったあとに言ってもしょうがないことやぞとも思ったり、佐藤くんが「音楽は雨乞いみたいな力があるから」と大工さんのときの豪雨を表現していたのを読んで、ああ、そういう考え方はあるなあと目からウロコを落としたり。いずれにせよ、音博=雨、という構図がわたしの中には染み付いていた次第。
とはいえ、去年の第2回はそんなにひどい雨は降ってなかったんですけどね。ただ、小田さんが出てくる寸前に通り雨が来て、皆むしろ笑いながら合羽を着ていた、その印象はとても強くて、やっぱり音博=雨っていう認識に揺らぎはなかった、ということでした。
今年は、13時台出演のアッコちゃんが「わたしが、最後のくるりまで雨を hold して天気を守る!」と頼もしく豪語していたのを見ても、バックステージでも雨に対する警戒心がすごかったんだろうなということがひしひしと。それは、誰が雨男/女で、誰が晴男/女か、みたいな笑い話かもしれないんだけど、出演者が皆で天気を気にしてソワソワしてる…というのがなんか、ミュージシャン主催のフェスだなーという感じで、「雨の中演奏する」ってだけの立場じゃなく、お客さんに対する責任とか、そういうところにまで意識が滲んでる感じでほほえましかったです。お金のある、どっかの会社が主催して、いろんなプロを雇って運営しているフェスに、ぽっと行って演奏するだけ、という関わり方とは根本的に違っている感じがしたのだなあ、アッコちゃんの言葉なんて、「うちの繁くん雨男なんで、代わりにわたしが!」みたいな。結果、降らなかったのは、今年は強烈な雨男(小田さん)が出演しなくてマイナスが減ったからなのか、強烈な晴女(矢野さん)が出演してマイナス(岸田の雨男ぶり)を打ち消せたからなのか、とかくだらないことで笑っていました。まあ、雨が降らなくて残念なんて口が裂けても言えないです。降らなくて、しかも晴れすぎなくて、すごしやすくてよかった。
でも、なんというか…音博は京都の若い人たちにとってきっと、「おらが街のフェス」なんだろうし、くるりは「音博は町おこし」つってて、きっとそういうレクリエーションとしてのフェスって位置づけで考えているんだろうけど、それにしても音楽聴いてない客が多いよな! と毎年思う。会場になっているのが元々市民広場的な場所(実際、リストバンド交換して入り口に向かうとき、お弁当と水筒とプラバッド持ってる家族連れが「やだ、今日芝生広場入れないんだって」「えー」「京都、音楽はくらん…会、だって」と看板見てるのを見かけた)だからってのもあるかもしれないけど、レジャーシートに食べ物飲み物、酒を持ち込んで、ステージも観ないで飲み食いしている人がすごく多いのがちょっとね…。そういう人が多いエリアはうるさくて、生で演奏されている音楽を楽しむ、っていう点でストレスがものすごくて、うーん、って思ってしまった。そういうエリアに行かなきゃいいだけなのかもしれないから、会場内をぐるぐるさまよっていい場所探したりもしたんだけども。
客がいられるエリアが平面的なのが問題というか、他のフェスみたいに、飲み食いして騒ぎたい人が集う別のエリアがあればいいのかな、という気もする。音博はぶっ通しの芝生広場だから、後ろのほうでげらげら笑っている人がいると、前のほうでちゃんと観てる人にまでうるささが届いちゃうんだよね。それがちょっと問題かなーという気が、改めてしました。まあ、ピクニック気分で来る人たちの気持ちも分かるんですよ、京都出身のバンドが、近所でこういうお祭りやってくれる、っていうのが嬉しくて、皆で集まってわいわいと楽しみたくなる気持ちは。でも、東京からわざわざ、メガネとロン毛と、彼らが呼んだミュージシャンの音を聴きに来ている人間からすると、その人たちのはしゃぎ方が邪魔に感じられてしまって、正直つらい。その矛盾がしみじみ肌身に感じられた3年目であったことでした。
でも、なんか今年は客が皆、随分勝手を分かって来ている感じで、シートゾーンの使い方が小慣れていたから、シートゾーンの後ろのほうがベストスポットだったかなという印象。このエリアは皆ちゃんとステージのほう向いてたし、宴会やってる人も殆どいなかった。今年は全体的に、禁止されているのに缶で酒持ち込んでる人もあまり見かけなかったし、合羽持ってる人も多かったし、「それ雨降られたらアウトじゃん!」って格好の人も少なかったし、客の側が慣れてきたなあと感じました。子供連れも多かったけど、まあ、このロケーションなら仕方ないと思うわ、わたしがもし京都の市内に住んでて、子供が2歳くらいだったりしたら、絶対連れて来たいと思うと思うし。フジには連れて行けなくても、梅小路公園なら連れて行ける、それは事実だし、それができるフェスっていうのが音博の趣旨なのかなって気もしてるので、くるりが出てきたときに「あれだれー? いしださん?」と大声を出したり、くるり石川さゆりが加わって演奏した夜汽車の歌のコーラス♪シュッシュー、ポッポー♪ってのを一緒に歌ったりする子供が周囲にいても、それはそれで笑っていられました。大人がね、酔って同じことしたらホントいやなんだけど、子供ならしょうがないと思うし、あれくらいの子供がいるお母さんでも野外で音楽を楽しめるってこと自体はすごくいいと思うし。場内には喫煙所もないし、フードコートはアルコール売ってないし、子連れにはやさしいフェスだなーと改めて思ったよ、「いしださん?」って声で。
…と、催し全体の話ばかりを書き連ねてしまったけど、演奏の話も書きます。以下、ちゃんと観た人たち。

矢野顕子

アッコちゃんがおかっぱ! 久々で、登場した瞬間にきゅーんてなった! このとき自分がいた場所が宴会エリアだった上に風向きが悪く、MC なんか全然聞こえない感じでアレだったんですが、実に実に楽しかったです。
「Children in the Summer」で始まるの、この季節のライブの特徴だなあと思ったり、最新アルバムの中で一番好きな「Evacuation Plan」が英語版で、こないだの東京 JAZZ で上原ひろみちゃんと演奏していたときのことを思い出したり。鶏びゅ〜と収録予定と同じヴァージョンだと思われるくるりの「Baby I love you」のカヴァーは、くるりと一緒に演奏しているのを生で聴いたことがあったがあったけど、弾き語りだともう全然違くて、以前に聴いたことがある例では…「窓」をカヴァーしたときに近いかな、「ばらの花」も弾き語りヴァージョンとか。メロディも崩して、ささやくように、涙ぐむように、たっぷりと歌って、その後ろでものすごい切ない和音が鳴る、というような感じで、矢野さん自身、「なんか寂しい感じの曲になってしまった」「こんなにめでたい日なのに!」と言ってて笑ってしまいました、めでたい日ってなんだろうか。ああ、音源でまた聴くのが楽しみだわあ。
「Rose Garden」も東京 JAZZ でひろみちゃんと演奏してましたが、今回はなんかひとりなのにあの夜の狂乱と緊張がよみがえるかのようなテンションでものすごかった。終わった瞬間、こっちも息を止めて肩に力入れて聴いてたことに気付く、みたいなすごい緊張感でした。アッコちゃんは途中、MC で何回も「くるりに毎年誘ってもらってたのになかなかスケジュールが合わなくて、今年やっと出られて嬉しい」ってことを繰り返していて、最後、「その嬉しさを込めて、この曲を歌います」と言って始めたのが「ひとつだけ」で、ちょっとだけ泣きそうになったのは、ここ数年、さとがえる以外でこの曲を聴くときは必ず、アッコちゃんが清志郎の話をした後だった気がしたからでして。
アッコちゃんが清志郎とこの曲を歌ったのを観たのは結局1回だけだったのかな、キーを下げて、♪あなたの心の白い扉、開く鍵♪ってとこを♪キミの心の黒い扉、開く鍵♪と清志郎が歌って。アッコちゃんは「わたしたちの歌を、わたしたちのためだけに歌いましょう」って、ふふふ、と笑って清志郎に微笑みかけていたなあって。
清志郎はもういないんだけど、清志郎とアッコちゃんのやさしい関係が最後まで続いたみたいに長い時間、くるりとアッコちゃんの友情が続いて、そこからこぼれる音がわたしたちの耳に届けばいいな、って思いました。
離れているときでも、わたしのこと、忘れないでいてほしいの。ねえお願い。
寂しい気分のときも、わたしのこと、すぐに呼び出してほしいの。ねえお願い。
あと、全部終わってから思ったことですが、今回は矢野さん、手を抜いてはいなかったけど、肩の力を抜いて演奏していた感じがしました。多分、石川さゆりが出ない年だったらもっとメイン扱いだったんだと思うけど、そこでメリハリつけてくれたような印象。その緩急の自在さがまた魅力だなあと惚れ直した次第。ふんとに、ふんとに素敵でした。さとがえるが楽しみだーい!(大の字)

BO GUMBO 3 feat.ラキタ

フードコートに行ったり、場外の芝生エリアに行ったり、うろうろしていたのでちゃんと観られなかったんだけど…ラキタが歌っていないことに気付いたときの衝撃ったら! ヴォーカルじゃないんだ! っていう…。1曲だけ歌ってたんだけど、どんとの声とは全然違って、ストレートで飾り気のない歌声でそれにも驚いた。音を膨らまそうとしないで、すとーんとした音を出そうとしている感じなんですよねえ。実直で、真面目な歌声だったけど、どんとの歌の殆どを構成していた色気とか哀愁とかはなくて、まっさらな感じが強かった。この先もうたってゆくのだとしたら、いろんな色が少しずつ加わってゆくのかな、という気がして楽しみになりました。
わたしはなんか、Soul of どんと周辺の「どんとがいまここに帰って来ている」とか、「どんとのくれたいいヴァイブが」とか、その手のスピリチュアルな言葉遣いが生理的に苦手なので、MC でそーいう言葉が出てくると耳を塞ぎたい感じになったり。ローザもボ・ガンボスも音楽は好きだったから、今でも音は楽しめるし、いい曲いっぱいあるって知ってるけど、こういう違和感だけはどうにもならない。音楽だけ楽しみたいっていつも思ってしまうので。今回もやっぱりそういう要素はあって、ちょっと疲れました。音は楽しかったんだけども。

奥田民生

頭にタオルを巻いてずかずか、オッサンが登場! もしかしてひとり股旅は久々なのかしら? と思ったのは、グッズ販売エリアに長打の列が出来ていて、えー、と思ったら「奥田民生さんのグッズ販売、最後尾はこちらです!」とスタッフが怒鳴っていてびっくりしたからです。股旅グッズを買い求める人があんなに…お、音博なのに! なんとなく、ユニコーン再結成で焼けぼっくいに火がついた資本力のある30代女性が、勢い余って、去年まではあんなにたくさんのフェスに出てたひとり股旅をも今年は見逃せなくなってしまい、京都にまで足を運んでしまった、みたいな人が多かったのかなあという印象。やあ、面白かったです。
話が逸れましたが、1曲目が「さすらい」でわーってなった。この間ちょうど、南Q太の最盛期のことを考えていて、大好きな「さすらい」という短編のことを考えて、何の気なしにこの曲の詞を検索していたところで。♪雲の形を真に受けてしまった♪とか、実にいい詞だなあ、いい曲だなあとしみじみし、この曲確かテレビドラマの主題歌だったよなあ、長瀬智也菅野美穂中谷美紀が取り合うドラマで、どこが「さすらい」やねん! と毎週心中でツッコミを入れていたことを思い出したりして。当時のこと、当時考えていたこと、それと今の自分の隔たりを思って、しみじみと噛み締めて聴きました。♪道の途中で、会いたくなったら歌うよ、昔の歌を♪って詞に、ユニコーン再結成を思ったりとかもして、この曲の詞にはなんだか、くるりというか、岸田の詞世界にかするものがあるなあと、影響みたいなものを感じて面白かったです。♪胸のすきまに入り込まれてしまった♪とかね。
先日、「ソングライターズ」のアッコちゃんの回の後編で、民生がうたう「ラーメンたべたい」の話が出ていたけど、丁度やってくれたので内的に大変に盛り上がりました。アコギ1本で、若干ぶっきらぼうにも聞こえる民生のあの歌声で、♪女もつらいけど、男もつらいのよ♪なんてうたわれて、ああいいなあ、なんていいんだろうなあ、とむわーんと。この曲の元の詞は♪男もつらいけど、女もつらいのよ♪で、時期的には80年代の、なんかこう…高度経済成長期のあとのニューウェーブ期が到来している頃、サラリーマン文化のカウンターがいろいろ出てきている中、サラリーマンが「男は」「男は」っていうのに対して、「男がつらいなら、男と一緒にいる女だってつらいのよ?」ってサクリと言うような感じがあって、♪友達になれたらいいのに♪なんてもう、恋愛しないと人間じゃない、みたいなバブル期の価値観の萌芽を感じさせる時期において、「そんな解決策があるのにどうして男は恋愛にしちゃって台無しにしたがるの?」っていう、ホントに刺さるすごい詞だとわたしは思っていたんですが、それを男性の草食化とかそういうのが言われている今、民生が男女ひっくり返して歌うと、妙ーにエロく聴こえるというか…なんかねえ、ダメで意気地がない、色気だけの男のひとが甘ったれている、どうしようもないけど退けられない感じが大変によかったです、元曲の持つ強さとは全然違うんだけど、それがまたなんともエロいっつうか! たとえて言うなら、元曲の、大人の女のひとが夜中にひとり、ちゃんとした服装で、周囲の視線を跳ね返すくらいに凛と座って、きりっとした細麺を黙々とすすっている…みたいな感じと全然違ってて、自分に甘くてだらしのない、ふらふらしていて魅力的な男性が、夜中の街道沿い、入れてくれる部屋がなくてやけくそで、熱くって油の多い、どろどろのスープに絡む太麺をはふはふ、がつがつ食べてる…みたいな。民生のずるさとエロスが爆発していてよかったですホント。
その後、岸田が出てきて「息子」と「ばらの花」を一緒に歌っていたけど、前に岸田が「デイゲーム」歌ってたユニコーンの再結成テレビ番組でも思ったんですが、民生のうたをうたうと誰しもが民生のうたい方になっちゃうんだよねー、て改めて。多分、メロディの細かい音の揺らしとかが、発声方法と結び付いているってことなんだと思うんだけど。同じように口をあけて、同じような声の出し方でうたうことになってしまうからなんか、岸田がすごい民生のまねしてうたっているみたいになっていて面白味に欠けてたな。まあ、岸田は元々あまりがっちりうたい込むタイプじゃないので、しょうがないのかもしれないけど。「ばら」は民生がじっくりうたうのに岸田がコーラスをつけていて、そのバランスが心地よかったです。普段、他人に歌わせているコーラスライン(意外と難しい)をうたうのってどういう気分なのかなーとか、岸田のわざとやわらかく発声してるんだろうコーラスを聴きながら楽しみました。
最後に、「奥田民生!」って岸田が紹介をしたら、民生が「キシダッ!」って紹介し返していて、下の名前とか知らないんでは、みたいな感じに笑ってしまったりもして。岸田はなんか、尊敬できる大人の男の人に、キシダって呼びすてにされてると幸せそうに見えるよね。楽しそうでずるいわあ。それにしても、「息子」はいい曲だなあと改めて染みた、民生のワードチョイスはいちいち確度が高く、攻撃力が高すぎておそろしい。
そうだ、憧れや欲望や言い逃れや、恋人や友達や別れや、台風や裏切りや唇やできごころや、わいせつやぼろ儲けの罠や。

石川さゆり

1曲目から「津軽海峡冬景色」、惜しみなく、どっかんどっかん演ってくれ、鈴を転がすような声で上品な言葉をささやき、会場中を「さゆりちゃん…(ぽわわん)」とハートマークな感じにしていて強烈だった。でも、確か梅小路公園は住宅街の中だから音量制限があるっていう話だったんでは…と途中心配になるほどのフルセットで、さゆりちゃん曰く「さゆりバンドのみんな(はぁと)」が大挙してステージに上がってじゃんじゃん音を鳴らしていました。もう、石川さゆりくらいになると制限とかどうでもいいいのかな、そうかもしれないよね…(半ば納得)。
鼓とか三味線とか弦(よく見えなかったけどバイオリンの調弦みたいな音が聴こえた)とか、これでもか、ってくらいに楽器がたくさんあって、「天城越え」もマーティ・フリードマンのギターソロをカヴァーするギタリスト入りのイチローヴァージョンで、三味線とギターのユニゾンでうねるリフ! とか、なんかもうめちゃくちゃでした。ソーラン節と韓国の民謡(ペンノレ?)をミックスしたという曲では、会場中「ハア、どっこいしょー、どっこいしょ!」と大絶唱。なんだこれは? というほどの盛り上がり。考えたら、若い子はホントに演歌とか知らないんだろうね…わたしは両親が美空ひばり世代ですから、普通に NHK の演歌番組で石川さゆりを観て育っていて、どれだけきれいでどれだけかわいらしくて、どれだけ男はみんなさゆり好きかを知っていたのでそんなに驚きはなかったんだけども、会場中、殊に若い子たちが「さゆりちゃん…かわゆい!」みたいにメロメロになってて笑いました。「歌も本当にうまいし!」とか言ってる子がいたけど、当たり前だよ! と失笑したなあ。ははは。
あと、今気付いたんですが、さゆりさんが「さゆり日記」で音博の感想を更新してくださってるようで…公式サイトのニュースにもしかと記事として載せていただいた模様。なんというのか、ありがたい、と意味のわからない気持ちを覚えました。当日も丁度、出演前、楽屋にいるときにイチローから電話があり、野外フェスに出ることを言うと驚かれた、という話を MC でされており、「イチローさんのお耳に音博の存在が!」とわなわな震えておりましたけれども、まったくもってそーいう、普通では届かない範囲にまで関わりを及ぼす媒介として音楽が生きるというのはなんとも面白く、不思議なものだなあと思う。この種のマジックを招くヒキの強さがくるりにはあって、そこが多分、わたしが彼らを好きな理由のひとつなんだなーと、改めて思ったことでした。
それにしても、三木たかし先生の遺作「桜夜」とか素敵だったわあホントに。「天城越え」の歌詞♪ふたりでいたって寒いけど、嘘でも抱かれりゃ暖かい♪とか、♪恨んでも恨んでも、身体うらはら♪とか、もーおてんとさまの下で聴くもの?! と鼻息が。日本古来のエロの正しい姿というか、半乳出してぷりぷり踊る「エロかわいい」なんかよかよっぽどエロく、後ろめたい感じのときめきがすごかったです。またさゆりさん、着物の襟をあんまり抜いたりしないんですよねえ。わりときりっと襟を締めてらして、その堅さがまたエロス。「居酒屋花いちもんめ」の前には「流れ着いたのは北の土地、小さな居酒屋を開きました…」と語りの小芝居が入り、「天城越え」はサビより♪恨んでも♪に力をがっつり入れて歌い、サビを歌いきった後には斜め上に手を伸ばして、スクリーンにリアルタイムで映すためのカメラの画架を計算してポーズを決める…という、本当のプロの技を見られて貴重な体験でした。「さゆりバンド」のみなさんが去年の音博のTシャツを揃って来てらっしゃるのもかわいらしくてきゅんとしたし、汽車好きだというさゆりさんが「さっきから汽笛が聴こえてくるので、もうドキドキして…」なんてはにかんでらしたのも最高。なんか、今年の音博の予算は全部さゆりさんをいい状態で呼ぶのにつぎ込んでしまったんだな…だから外国からアーティスト招聘できなかったんだな…ということが観てたらよく分かりましたが、それはそれで、よかったんではなかったかと。だって面白かったもん! それ以外の感想は持ちようがないくらいでした。お腹いっぱい。

くるり

ピアノに世武さんを入れての4人構成。この4人で秋〜冬のホールツアー廻る気なのかなーという予兆を感じさせるようなタイトな印象を受けるライブだった。なんか、演奏が冷静すぎる気もしたんだけど、自分が過去に学園祭やイベントで「知らない人」に向けて何かをする場の仕切りを経験したときのことを考えると、演奏にだけ入り込んで集中できるようなテンションになりにくいことも想像がつき、しょうがないのかな、とも思ったり思わなかったり。
いや、それよりも何よりも、とにかく岸田の声が出てなくて、以前に夏フェス時期に喉壊して大変そうだったときほどじゃないにせよ、ちゃんと出る音域がいつもの7割くらいになっていて、そのせいでこまごまと歌メロ変えて低い音だけで歌えるようにしたりしていて、なーんでこんな大事なときに喉壊してんのかなーこのメガネは、とちょっとがっかりした気持ちは否めなかったです。夕暮れどきに、空の下で、大勢の前で照明を浴びて、いいコンディションで演奏するくるりを観たくて京都まで行ったので。すごく楽しみにしていたし、このためにいろんなことを調整して調整して足を運んでいたから残念だった。残酷かもしれないけど、もちっとプロとしてコンディション大事にしてほしい。これだけ、いろんな人たちのいい「歌」を聴かせてもらった最後がこれじゃあ格好つかないじゃん、て思ったよ。「さよなら春の日」のイントロにワーとなった次の瞬間、「声ちゃんと出るのかな…」と心配になってサガる、とか、そういうのは、わたしは楽しめないので。岸田の弱さに萌えたりとかしてる人ならそれはそれで楽しめるんだろうけど、わたしは音楽聴きたくて京都まで行っていたので、とにかく残念でした。ぷんすか。
でも、ヴォーカル以外の演奏面はすっごいよかったです。うまかった、っていうと変だけど、世武さんのピアノ/キーボードのアレンジも含めてよく練れていて、しっかり楽しめる演奏にはなっていたと思う。だからこそ余計にヴォーカルが…(しつこい)。なんか、うまいから冷静な感じに聴こえるのか、冷静に演奏してるからうまいのかわかんないけど、武道館といい、最近わたしがくるりを観るときはいつもそういうモードだなあと思った。秋のツアーではもう少しはじけた演奏も観たい気がする…けど、こういう醒めてる(冷めてる、でなく)感じの演奏も嫌いじゃないし、勢い余ってつんのめってる演奏は観ててしんどいので、微妙なところかもしれない。なんか久々に佐藤くんがコントラバス弾いてて、しかもメガネもかけてて、白シャツの襟開けてこう、バス傾けて弾いてんの観たらうわーってなって、思わず「格好いい…」って声に出して言ってしまって自分でびっくりした、頭ん中から言葉が漏れた感じで大変恥ずかしかったです。でも殆どヴォーカルしか映んないんだぜスクリーンには…カメラの台数が少ないってことかもしれないんですが、あっちのメガネももっと映せ! と歯軋りしまくった訳です。うう。
選曲が実に「今」の曲ばかりで、「三日月」とか生で聴いたの初めてかも、というレベル。「さよならリグレット」「かごの中のジョニー」「京都の大学生」等、レコーディングでエディーがピアノ弾きまくってた曲を世武さんのピアノで再現していたのがすっごい面白かった、解釈の違いというか、世武さんの、エディーのそれとはちょっと違った種類の変態性がよく出てて。何しちゃってんの? というタイミングで、びっくりするような和音をパパと鳴らしてみたりとかしていて、聴いててハラハラさせられてとても楽しかったです。世武さんのピアノ、相当面白いわあ。ただ、コーラスがちょっと乱暴で、ツアー参加するならもうちっと全体聴いて歌ってほしいと思った、音の伸ばし方とかひどく雑だったもん、慣れの問題な気がしますが。でも、ピアノはべらぼうに面白かったし、あの4人編成だったらこれまでの大抵の曲が演奏できる感じがしたので、彼女がサポートに入っているくるりを是非また聴きたいって思ったなあ。
岸田は MC で、先日石川さゆりさんと食事をし、何か一緒に演奏できないか…と言ったら、「曲、作ってくださる?」と言われて慌てたという話をしていて、実際にさゆりさんを再度呼び込み、くるり石川さゆりで「夜汽車はいつも夢を乗せて」を演奏してましたけども、そんなにピリっとした曲ではなく。ただ、サビというかなんというか、4声くらいで♪シュッシュー、ポッポー♪ってハモるのがえらいかわいらしかった。歌メロを演歌風にしようとがんばったのが敗因だったんじゃないかなという気がするな、もっと普段の曲と同じように書いて、それを歌ってもらったほうがいい歌になったのではと。まあ、絵的にはかなり面白かったんですけどね。はは。
くるりの曲を矢野さんと民生がカヴァーしてくれたのだから、くるりもカヴァーしたらいいのにな、と思ってたけど、さゆりさんとの競演で全部のスペシャリティを使い果たしたらしく、アンコールで「虹」と「宿はなし」演って終了という感じでした。「虹」は普通に演奏していて、音量制限はどこに? とさゆりさん効果に乗っかった感じに笑ってしまった。最近、この曲を3人で演奏してるのを聴くことが多かったから、♪丘の向こうから君は僕を呼んでいる♪のブレイクのところ、完全に楽器が抜けてヴォーカルだけになるのに慣れていたんだけど、そこに世武さんのピアノがごりごり乗ってきていてかなり気持ちがよかったです。この曲の佐藤くんのコーラスがすごく好きで、岸田が声が出ていないときの佐藤くんの、過剰なまでのコーラスのでかさを期待するというヤラしい聴き方をしてしまいましたが、コーラス含めて全体の演奏のバランスのよさが岸田の声が出てないことをカヴァーしていた感じで、安心感を持って聴けた。最後の「宿はなし」は、やあねえ、いい曲じゃないのよう、と改めて思ったことです。うまくいえないが、なんか、東京から京都まで来たときにいつも感じる寂しい気持ちに似た気持ちになるのだな。なので、あと2時間で新幹線、みたいな気持ちで聴くといっそう染みるというか、今回はしみじみと「旅の終わり」を投影して聴きました。この曲、元々がアコーディオンなのに、世武さんがキーボードじゃなくてピアノ弾いてたのも面白かった。なんでそこでピアノ? という、やっぱり変態っぽい楽しさがたまんなかったです。
そんな訳で、今年も音博無事終了。岸田の喉があんなんなってなかったらもっと楽しかったと思うけど、まあ、それでも楽しめたからよしとしたい。それより、音楽あんまり聴く気がない客と音楽聴きたい客との棲み分けをもう少し考慮してもらいたい気がしたな。毎年、「来年は行けるかわかんない」と思って3年目ですが、今まで以上に来年はどうなるか分からないので、すごしやすい気候で民生やアッコちゃんがあのステージに立っているところを観られた記憶ができてよかったです。おおむね楽しかった!